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平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

65年の過去を顧みる

2010-08-12 14:51:36 | Weblog
遂に終戦65周年目を迎える日が迫って来た。 軍国主義の国から民主主義の世に移り変わり今や日本の新政権は完全に若い世代に受け継がれて来た。

未だ幼少だった頃の自分は軍国主義だった日本の厳しさは然程に感じられなかったが、思えば小学校時代から先生の生徒に対する処罰は半端な物ではなかった。

低学年(4年生まで)の頃は男女共学だったが、先生の生徒に与える体罰は柔道の技で床に叩き付けた挙句に顔に何度もびんたを食らわせ教室の生徒全員に恐怖感を与えてぴりぴりさせられていた。中学生だった頃も厳しい暴力を振るっていた先生が居た。そんな或る日の放課後、1年生全員は講堂に集められてきつく巻いたゲートルを付けた侭で床にお行儀で正座させられて初のお説教を1時間近く聴かされたが、終った後に殆どの生徒が足の痺れに立てなくて呆気なく床に転落していた。 

私達同じ方角から汽車で通学するグループ(本線下り方面)は必ず一緒に列を組んで下車する駅から学校までの行き帰りは上級生の指示に従って通学させられていた。或る日帰る歩道の途中から狭い場所に連れ込まれて並ばされ、いきなり一人一人の顔にびんたを食わされた事が有った。其れは飽くまでも上級生に従わせる為の説教だった。

8月6日の前日までは1学年の生徒は学徒動員として市内の中心部に近い地区での疎開された後の空き家屋の取り壊された後始末の作業勤務に従事させられていた。 翌日の6日は2年生の上級生と交代させられる事となり1年生は全員休日が与えられ大喜びで帰路に就いたのだった。 その結果が生死の境い目となり運良く原爆から生き延びられた所以と成ったのだった。 2学年の上級生は全員帰らぬ犠牲者となったのだ。  (続く)