足を切断しても義足で歩いている人がいる。
私には足がちゃんとあるのに歩けない。
よぼよぼのおばあさんでも杖をついたりして歩いてる。
私は立っていることもままならない。
脊髄ってそんなにすごいんだ。
脊髄腫瘍の上衣腫でも車椅子の人ってあまりいないみたい。
どうして私は歩けないのかな。
こうやって気分が落ち込んでる時は朝起きて車椅子を見ると正直うんざりする。
同じ生きるなら楽しく笑っていきたいところだけど、やっぱり痛みや不自由さに押しつぶされそうになる。
痛くても歩いてる人もいるのに、私は痛みと歩行障害。
でも、うじうじしてる自分のことも嫌いになりそう。
iPS細胞どうなったかな。
私には足がちゃんとあるのに歩けない。
よぼよぼのおばあさんでも杖をついたりして歩いてる。
私は立っていることもままならない。
脊髄ってそんなにすごいんだ。
脊髄腫瘍の上衣腫でも車椅子の人ってあまりいないみたい。
どうして私は歩けないのかな。
こうやって気分が落ち込んでる時は朝起きて車椅子を見ると正直うんざりする。
同じ生きるなら楽しく笑っていきたいところだけど、やっぱり痛みや不自由さに押しつぶされそうになる。
痛くても歩いてる人もいるのに、私は痛みと歩行障害。
でも、うじうじしてる自分のことも嫌いになりそう。
iPS細胞どうなったかな。
ほんとひどい病気ですよね
私も15歳という若さで母親を亡くし、頑張って生きてきました。
今娘が14歳死んではならないと思いつつ、死んだ方が楽だと思うほどの後遺症。
私も痙性がひどく、まっとうに生きてきてなんでこんなに私ばかり辛い思いをしないといけないのかと泣いてばかりの毎日でした。
しかも、聞いたことがないような他人に説明しにくい私の場合骨髄髄内腫瘍で100万人に2人とか
宝くじも当たらないのに、ふざけるなぁと叫びたいです。
胸髄腫瘍なので車いす75%と言われるなか、泣きながらリハビリ頑張りました。
3人子持ちで、一番下がまだ二年生なので
歩きだす時は、舞台から飛び降りる勢いで、理学療法士の先生に絶対に支えるからと後押しされ
私も頑張ったけど、リハビリ病院がよかったんだと思います。
何を言いたいのか支離滅裂ですみません。
私は、歩いてるけど、雨の日はやっぱり調子悪く歩けない日もあるし歩けたとしても、足ががくがくし、地面にうまく着地させるのも一苦労です。
生きてるだけで、精一杯
自分の母は亡くなった。自分は生きて子ども達にもう一度会えた。
こんな素晴らしいことはないです。
ベリーさんは、子ども達にとって生きてるだけでいいんですよ。
傍で笑ったり、話してくれるだけでいいんです。
一緒に家族のために頑張りましょう!!
ゎたしも、病気は違いますが、或る日突然
痛み+車椅子生活になってしまいました。
病名は、視神経脊髄炎と言います。
目覚めて、
寝起き早々に 車椅子が視野に入ってくると
本当に 辛くなりまね。
もうすぐ術後2年になろうとしているのに障害の受容が出来ずに苦しんでいます。
車椅子には罪はないんですけどね。
まだ、いつか自分の足で歩くことを夢見ちゃっています。