心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

人間の大地

2012-02-28 22:26:40 | 日記
サンテグジュペリが書いた「人間の大地」という作品を知ってる?
少し長いかも知れないけど、読んでみてね。

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ぼくらのこの家も、たぶんすこしづつ人間らしさを加えてくるに相違ない。
機械でさえも完成すればするほど、その役割が主になって、
機械それ自身は目立たなくなってくるのがつねだ。

人間の生産的努力のすべて、その計算のすべて、図表を前の徹夜の
すべても、外面的な現れとしては、ただ一つ単純化に達するに尽きている。

一本の円柱、一本の竜骨、または一台の飛行機の機体に、女の乳房の、
女の肩の曲線の、あの単純な純粋さを与えるまでには、多くの世代の経験を
積まねばならなかったのだ。

研究室における技師たち、製図工たち、計算手たちの仕事も、外見的には、
その翼を、それが目立たなくなるまで、機体についている翼があるという
感じがなくなり、最後には完全に咲ききったその形が、母岩から抜け出して、
一種奇跡的な天衣無縫の作品として、しかも一遍の詩品のようなすばらしい
質を備えて現れるときまで、この調和を軽快にし、目立たなくし、みがきあげるに
ほかならないと思われる。

完成は付加すべきなにものもなくなったときではなく、除去すべき何ものも
なくなったときに達せられるように思われる。発達の極致に達したら、
機械は目立たなくなってくるだろう。

発明の完成はかくて、発明の忘却とその境を接するのだ。そして今日われらが
用いる器具を見ても、目立つようなからくりはすべてすこしづつ消え失せてしまって、
海がみがきあげた小石と同じほど、自然な品物となっていると等しく、使われておう
いるうちに機械がすこしずつ自らをわすれさせてゆきつつあるのも、確かに
賞賛すべきことだ。

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今、日本の液晶テレビ生産が苦戦しているけど、それは付加すべきものが
なくなってきてるからなんだよね。3D技術も実用化されたし、高画質化も
もう十分という感じだもんね。付加すべきものがなくなったら、値段を下げないと
売れなくなるけど、値段を下げるためには人件費が安い場所で大量生産しないと
いけないよね。日本は人件費も高いし交通が便利なところは土地代も高いから、
大量生産には向いてないんじゃないかな。

テレビと違って、人間は何を自分に付加するか、いつも考えてないとダメだよね。
「もう自分には学ぶことも経験することもない」なんて言っていたら、「完成」とは
呼べるかも知れないけど、人生が楽しくなくなってしまうよね。「完成」すると
「忘却」しか残っていないもんね。

テレビには自分で考える力がないので、何を付加するかは人間に考えて
もらわないといけないけど、人間は自分で考える力があるから、何を付加するか
自分で考えないといけないよね。

ただ、考え始めると付加したいことが次々出てきて、生きている間に全部、
付加できないなぁ、と悩み始めるかも(笑)

でも、それが人生のような気がするなぁ。

モーツアルトのバイオリン協奏曲を聴きながら・・・