空を見上げることはしょっちゅうあるけれど、それは
農民や漁師とはまったく違う見上げ方でしょうね。
空を物としては見ていない。
空に自分の生活がかかっていない。
だから私には空を一種の抽象として扱う傾向があります。
青空の青の濃さや薄さ、動いていく白い雲、さまざまな夕焼け・・・
空はいつも美しい。でも、もどかしく、どこか苛立たしい。
空と一体になりたいと思いながら、それは決してかなえられない
夢だと分かっているから。
今、読んでいる谷川俊太郎さんの「ひとり暮らし」という
エッセイ集に書いてあった言葉だけど、確かに空には
自分の生活はかかってないよね。同じ空を見ても、
その時の気分によって空の感じが変わるけど、それが
空を一種の抽象として扱っている、ということになるのかなぁ。
一日は夕焼けで成り立っているんじゃないから
その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから
それがどんなに美しかろうとも
谷川さんが60歳の時に書いた詩句だけど、谷川さんが
人生で学んでいたことが表現されているという感じがするね。
20代とか30代の時には、たぶんこんな詩句は浮かんで
こないんじゃないかな。