心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

本という不思議

2013-03-10 12:18:30 | 日記

今、きのう図書館で借りてきた「本という不思議」という本を
読んでいるけど、目に止まった文章を紹介するね。

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ふしぎです。

本は読んでも読まなくても、何のちがいもないとしか
見えません。

けれども、ちがいます。

それでいて、どこがちがうと言うことはできません。

ただ、いつか心の深いところで、何かがちがってくると
いうふうにしか、そのちがいを言うことはできません。

本を読む、物語を読むというのは、自分のうちに、
本を読む、物語を読むという心の習慣をもつと
いうことだからです。

*****

もうひとつ、こんな詩も紹介されていたよ。

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男は、楡の木を、ユーカリの木を、
ちいさな糸杉の木を植えた。 そして、
水を遣った。夏の長い夕暮れに。

だから、むかし、この乾いた土地では、
たそがれとは、水の音のことだった。

いまでも明るいピンク色の響きを
鳴りひびかせるトランペットのように、
アマリリスが、顔を突きだしている、
そこらじゅうにはびこっている
自生のカラスムギのあいだから。

そう、木を植えた男は、もういない。


木々は、夜のとばりの下りるのを
じっと、そこで待っている。

影だけだ。 そこには、誰もいない。

そこに育ち、そこで朽ちてゆく
誰が植えたのでもない、松の木。

八月の丘を真っ白にしてゆく、
誰が蒔いたのでもない、穀物のみのり。

廃墟のままそこにのこされた一軒家。
そこに見えるものは、
そこにないものの外見なのだ。

答えのないことが、そこでは答えだ。
そこでは歳月は、数えられずに過ぎる。

木々の葉のあいだから、
夕暮れが水のようにみちてくると、
いつものように、ヴェガ(織女星)が瞬きはじめる。

楡の木の一番高いところに。
野生の白いポピーのように。

苦痛の国になって、そこにだけ、
ほんとうに、心みたされるものがある。

(白い星、白い花、
古い給水塔から、乾いた土地の
木々の根におくされてゆく水)

穏やかさのちいさな滴り。

  「そこ(There)」 ル・グウィン

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「木を植えた男」の物語を思い出させるような詩だね。



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