
1980年代はじめに上野駅で撮影した特急「いなほ」です。この頃は上野駅まで乗り入れていました。隣に京浜東北線の青い103系が写っています。懐かしい。最近仕事が忙しく更新が滞っています。すみません。
ところで先日、谷村新司さんが亡くなったことが発表されました。私は中学生の頃からアリスのファンで、地元倉敷の商店街の中にあったレコード屋さんに徹夜で並び、倉敷市民会館でのアリスのコンサートチケットを入手していました。ツアーの際には毎回倉敷には来てくれてとてもありがたかったです。もちろんアリスの影響を受けてバンドも始めました。これは大学まで続きました。就職してからも職場で即席バンドを組んで演奏することもありました。アリス解散後はメンバーの皆さんはソロ活動をすることになるのですが、谷村さんも堀内さんも変わらず倉敷市民会館に来てくれていました。谷村さんは満席でしたが、堀内さんは空席が目立っていたので申し訳なく感じました。谷村さんのCDアルバムに「海を渡る蝶」というタイトルのものがあります。高校生の時に購入しました。この中に「花束ー最後の汽笛ー」という曲があります。機関士として一生懸命働いていたが、沿線の若者や娘さんまで都会に出て行き、寂しさが募る。最後の列車の運転を終えると白髪混じりとなった妻が花束を持って待っていてくれたといった内容の歌詞でした。高校生当時、列車の運転士にも憧れていた私は「そうか、僕も頑張ってこのような優しい妻をもらい、大好きな列車を運転して過ごすんだ」と勘違いしたものでした。現実は甘くない(笑)。
ところで先日、谷村新司さんが亡くなったことが発表されました。私は中学生の頃からアリスのファンで、地元倉敷の商店街の中にあったレコード屋さんに徹夜で並び、倉敷市民会館でのアリスのコンサートチケットを入手していました。ツアーの際には毎回倉敷には来てくれてとてもありがたかったです。もちろんアリスの影響を受けてバンドも始めました。これは大学まで続きました。就職してからも職場で即席バンドを組んで演奏することもありました。アリス解散後はメンバーの皆さんはソロ活動をすることになるのですが、谷村さんも堀内さんも変わらず倉敷市民会館に来てくれていました。谷村さんは満席でしたが、堀内さんは空席が目立っていたので申し訳なく感じました。谷村さんのCDアルバムに「海を渡る蝶」というタイトルのものがあります。高校生の時に購入しました。この中に「花束ー最後の汽笛ー」という曲があります。機関士として一生懸命働いていたが、沿線の若者や娘さんまで都会に出て行き、寂しさが募る。最後の列車の運転を終えると白髪混じりとなった妻が花束を持って待っていてくれたといった内容の歌詞でした。高校生当時、列車の運転士にも憧れていた私は「そうか、僕も頑張ってこのような優しい妻をもらい、大好きな列車を運転して過ごすんだ」と勘違いしたものでした。現実は甘くない(笑)。
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