京都鉄道博物館に保存されている、国産初の電気機関車EF52
京都鉄道博物館には、現座EF521が保存されています。
EF52のことを少しだけ簡単に振り返ってみましょう。
EF52は、国産初の電気機関車として昭和3年から製造が開始されました、鉄道省が鉄道車両業界と共同で作り上げた車両で、性能的には満足するものではなかったものの、初の国産用機関車としての安定性は示したようでした。
9両製作されたうち2両は、歯数比が異なり、後にEF53として量産される機関車と同じであったことからEF54に変更されましたが、昭和20年には貨物用機関車の不足と2両しかなかったこともあり歯数比を再び変更してEF14という貨物用機関車に再改造されたのはよくご存じのことと思います。
昭和35年からは、大阪駅構内で荷物車の入換などに従事していたようで、昭和49年に廃車になるまで大阪駅を働き場所にしていたようです。
さて、東海道線で最初に華やかな活躍をしたEF52ですが、新鋭機関車が誕生すると都落ちしてしまうのは止む得ないことで、中央東線や阪和線に転属となり最終的に7両全車が阪和線に集結することになりました。
1号機は、昭和48年に廃車になったそうですが、そのまま奈良機関区で保管され続け、その後昭和53年に大阪弁天町の交通科学館(当時の名称、その後、交通科学博物館に名称変更)に保存されました。
弁天町の交通科学館が京都の鉄道博物館に統合移設されることになり現在に至るのですが。
EF52形は1号機が昭和48年に廃車になったとはいえ、2号機と7号機が最後まで運用に残っていました。
山中渓を越える関係で、ED60+EF52であったり、EF15+EF52と言った重連で、軽い場合はEF52単独で牽引していたものです。
特定の機関車との重連というのはなかったと思います。
外観では、2号機が尾灯を埋め込み式に改造していたのに対し、7号機は最後までオリジナルの行灯式で残っており、個人的にはオリジナルに近い7号機の方が好きでした。
そんな阪和線のEF52ですが、さすがに老朽化から廃車が迫ることとなり2号機が一足早くリタイア、最後まで残ったのが7号機でした。
7号機が昭和50年8月、さよなら運転で天王寺~和歌山駅間を運転
具体的な時間はちょっと覚えていないのですが、8月24日臨時きのくに53号を牽引して和歌山駅に到着、和歌山駅に到着後は、現在は近鉄百貨店が建っている辺りに留置線で展示会を兼ねた撮影会が行われたものでした。
当日は晴天で、機関車にはデッキにヘッドマークが付けられ、車輪などにも白い縁取りが入れられてお召列車仕様とまではいかないまでも地味な貨物機関車にしてみれば精一杯のおめかしをしてもらったそんな感じでした。
昼過ぎにはヘッドマークも付け替えて再び天王寺に向けて走り去っていき、いよいよこれで最後なんだろうなぁと思っていたのですが。
9月一杯は再び貨物の仕事についていたEF527
8月のさよなら運転でいよいよ最後と思っていたEF52でしたが、偶然にも9月頃だったと思いますが、夕刻に和歌山操駅の北側留置線に佇んでいるのを見つけたのでした。
学校から帰り、ふらりとカメラを持って走っていたら偶然発見。
もしかしなくてもEF52だよなぁ・・・そう思って夢中でシャッターを切っていました。
今から40年以上前のお話ですが、鉄道オタクの少年にしてみれば今のようにネットでリアルタイムな情報交換出来ない時代でしたから、発見した時は嬉しかったですね。
撮影時期は記憶だけなので9月だと思うのですが、もしかしたら10月だったかもしれません。
何れにしても、さよなら運転をしながら、その後も地味に貨物の運用についていたのは驚きでした。
廃車後は、製造会社の川崎重工が自社の工場で保存しているのは皆様も良くご存じだと思います。
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