辞表を書くも諫められる
石田総裁は、鶴見自己の責任を負って辞表を提出するも慰留されることとなりました、三河島事故で十河総裁が辞表を提出したとき、
「辞めれば責任がとれるものではない」
十河を諫めた言葉がそのまま。石田禮助の言葉に、刺さるのでした。
さらなる安全に対するこだわり
石田の態度には、鶴見事故の遺族もそして世間も、その立場をよく理解して、励ましの手紙などもきたことで、ようやく石田総裁は、国鉄総裁としての新たな覚悟を固めたようでした。
「安全の確保」を今まで以上に意識するようになり、昭和37年の三河島事故で設置された、本社における事故調査委員会を毎月開催させたそうです。
この委員会は、形式的な会議ではなく石田総裁以下全役員と局長以上、更に主幹の各課長、各管理局の総務課長が出席して、全国で起こった運転事故についてケーススタディを行うというものでした。
石田総裁にしてみれば、国鉄はそれこそ電車であれば一編成で1000人近くの命を運んでいるわけであるとしていることを意識しており、それは後に物議を醸した、「国鉄はたばこを巻いている専売局とは違う」という迷言が飛び出したのもこうした思いがあったからと言えます。
39年度予算要求では、池田総理に直談判
石田は、要るものは要るとして、強気の要求をさせ、昭和39年度は予算で 2,733億円(在来線のみ)の改良費を要求したそうです。
(国鉄としては、第2次五カ年計画を遂行するためには、2年間で6,574億円が必要であり、昭和39年度は在来線だけで2,733億円、新幹線を含めれば3,376億円)
これに対し大蔵原案では、政府予算案としてほぼ前年並みの1330億円を計上したそうで。
大蔵省としては、「殿、ご乱心」ならぬ、「総裁、ご乱心」として、国鉄を非難したと言われています。
石田総裁は、就任時に池田総理から、「出来るだけの応援はする」という口約束を取り付けており、
「総理が約束を守らぬようなら、辞任する」と息巻き、
最終的に以下のような条件で政治的決着が図られることになりました。
予算400億円復活と国鉄基本懇談会の設置
政府案としては、最終的には、要求を約1,000億円も下回る 1. 754億円ですが、420億円ほど増額された形での決着となりました。
以下は、大蔵省と国鉄との間で取り交わされた条件でした。
改良費 2,733億円の要求に対し979億円減の 1,754億円という政府案が次のような附帯条件のもとに決定した。
i) 38年度において新幹線工事に流用した 100 億円を38年度に補正する。
ii ) 39年度の不足分は差当り 400 億円の債務負担額をつける。
iii) 39年度においては優先補正措置を講ずる。
また、この決定以外の条件の 1 つとして「国鉄経営の抜本的再建のため、党及び政府は国鉄の基本問題を調査する委員会を設置し、 昭和40年度以降の第3次計画及びこれに対する資金確保の方策についての検討を速かに開始すること」が申合わせ事項として了承されたそうです。
雑誌 国鉄線1964年11月号 から引用
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国鉄があった時代 JNR-era
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