国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第5代国鉄総裁 石田礼助とは 第8話

2021-06-29 10:39:57 | 国鉄総裁

棺の前で声をなくす石田禮助総裁

鶴見事故は、走行中の貨車が脱線して、隣の線路を支障、その横を走っていた電車が接触して脱線、運悪く対向線路を走っていた上り電車の側面に衝突したわけで、上り電車が架線の異常な揺れに気付いて減速していたのですが、完全に停車していたわけではなく、4両目の中間付近から5両目に掛けて抉るような形となりました。
下り電車の先頭車は、衝撃で原形をとどめぬほどに粉砕され、衝撃を受けた4両目と5両目の車両は、台枠から上がきれいになくなっていました。

この事故で、160名を超す命が失われ、下り電車先頭の運転士も殉職しています。

遺体は近くの総持寺に搬入され、駆けつけた石田総裁は、かろうじて焼香を済ませると、遺族に頭を上げる事も出来ず、

「本当に申し訳ないことをいたしました」

とうな垂れるばかりであったと書かれています。

その姿は大変な取り乱しようであったと言われて、記者には一言

「ヘルだ」(地獄だ)

とだけ呟いたそうです。

11月22日には、石田国鉄総裁が施主となる合同慰霊法要が行われることとなり、入院中(事件数日後に自民党本部を訪れた際、廊下で転倒して腕を骨折、大事を取って入院)の病院から片腕を吊った状態ででかけたそうです。磯崎副総裁が代行しよとしたが、

「どうしても自分が行く」

と聞かなかったと言われています。

だが、遺族の前では嗚咽して、用意した弔辞もろくに読めなかったと言われています。

鶴見事故合同慰霊法要 11/22

曹洞宗本山総持寺(鶴見)で、石田総裁施主によって、犠牲者160柱の合同慰霊法要が、遺族607名、綾部運輸大臣ほか来賓者100余名及び国鉄全幹部、関係者約300名が列席で行われ、4時15分国鉄全機関においても、全職員黙祷、犠牲者の冥福が祈られた

国鉄があった時代 昭和38年後半から引用

職員に対して訓示を発表

11月15日、石田総裁は以下の通り、全職員向けに訓示を発表しました。

国有鉄道 1985年6月号から該当部分を全文引用させていただきます。

「三河島事故からl年半、この間、私たちは事故防止のために最善の努力を尽してきました。
その結果運転事故も減少の傾向をたどり、私は職員の皆さんに感謝しながら、更に一層安全な国鉄をつくることに楽しみすら感じて毎日の仕事をしてきました。
しかるに11月9日21時51分、東海道本線鶴見・横浜間において200名をこえる死傷者を出す大事故を起したのであります。なくなられた方々や負傷された方々に対しては誠に申訳なく、御遺族の方々にはお慰めする言葉もありません。
国鉄は、毎日1,500万人をこえる旅客と55万トンにのぼる貨物を託され、わが国発展のための基幹ともいうべき輸送の仕事をになっています。
したがって私たちは、輸送の安全のために、覚悟を新たにして最善の努力をすること以外、国民の皆さんに対しておわびするみちはありません。
                    一(以下略)(昭和38年11月15日、総裁石田礼助

という談話を発表しています。

こうして、石田礼助総裁は、更に安全投資と言うことに傾注することとなります。
そして、後に有名になる、報酬の全額返納を申し出るのでした。

給与の全額返納を申し出る

鶴見事故以降いよいよ、総裁という仕事は金を貰ってもする仕事ではないという意を強くします。
アメリカでは、アップルの創業者スティーブ・ジョブスが復帰後の報酬を1ドルしか受け取っていないとして話題になりましたが、これは石田禮助も若い頃にアメリカの成功者が行っていた、「ワン・ダラーマン」を意識していたものと思われます。

1$の報酬しか得なくとも、トップたるものその責任を負いプロフェッショナルの仕事をするということを実践したものでした。

そこで、石田禮助総裁はそれまでも、給与の全額を受け取っていなかった(当時の総裁の給与は30万円であったが、10万円しか受け取っていなかった)が、事故以後は全額受け取らないことを決めてその旨を文書にしたためたそうです。

以下、粗にして野だが卑ではないから引用させていただきます。

「12月分より俸給を全額返上いたします。左様ご承知下さい。之に代え、1年ブランデー1本頂戴出来れば仕合わせです」

引用の本文では、「ひらがな」部分が「カタカナ」書きでしたが、読みやすさのため敢えてひらがなにさせていただきました。

もっとも、困ったのは本社の経理局であったようで、こうした申し出に困惑してしまったとも言われていますが。結局、退任するまで報酬を受け取ることはなく、公に生きると言うことを実践していったと言えます。

続く

 

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