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しばらく、空いてしまいました。
申し訳ございません。
さて、前回は、流れの方向として、国鉄の分割民営化も検討すべきであるという話が、昭和30年代に既に出てきたというところで終わっていたと思います。
産業計画会議は、民営分割を一つの方向として示していましたが、これに対して国鉄あるいは批判的な評論家は以下のような理由で民営化を牽制しました。
①世界の鉄道は公共企業体奉仕への統合が進んでおり、民営化は時代に逆行していること。
②組織を分割すると、ラッシュ時などを中心として、能率的なダイヤ編成が出来ない。
③分割論の利点は支社制度の強化で実現できる。
④いわゆる民営にしても、資本は国がみなければならず、形式的なものになる。
など、批判的な意見がありました、ただ、分割民営化に反対だが、政府の干渉をなくして、経営の自主性を持たせる点などは、概ね賛成の意向を示す人が多数いました。
当時の産業計画会議には、十河国鉄総裁や、島技師長ら国鉄幹部もそのメンバーとして名を連ねており、民営分割という、当時としては刺激的な形を通じて、国鉄部内における問題点を露呈したのかもしれないという見方もあります。
実際に、当時の国鉄では運賃の改定一つにしても国会の審議を経なくてはならず、国鉄労働者への賃金引上げも基本的には経営者側で決定できない状態に有ったのですから、会社を経営しているとはとてもいえない状態といえました。
昭和32年の監査報告書には
国鉄監査委員会<委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏長)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。
以下引用すると
「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。そもそも国鉄は公共企業体であるが、一つの企業体である以上、それが自主性をもち、企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないことは当然である。・・・・
今や国鉄の経営刷新が強く要望されているこの時において、国鉄が公共企業体としての、その使命を果たすための”新しい経営理念”は、外に対しては自主性を確立することであり、内に対しては企業性を強化するとともに、業績に対する全責任を明らかにすることがあると考えられるものである」
以上のように、国鉄が新しい「経営理念」を作るべきあることを強調していました。
国鉄の監査報告書は、ややもすると政府の意向を反映する傾向にありましたが、この報告書は国鉄に対してはきわめて厳しい批判と取れる反面、力強いバックアップとも言えました。ただし、大国鉄を大きく動かす原動力とはなりえなかったのは残念でなりません。
これらの議論が出尽くす頃には、国鉄に対する関心は、「夢の超特急」へと移行し、国鉄に対する論議は急速に下火になっていきました。
また、昭和32年度から開始された、第一次5ヵ年計画もそう言った国鉄批判に水をさしたのかもしれませんがこの点は後日書き込ませていただきます。
少しだけ訂正を行ないました、ご指摘ありがとうございます。
米子のまちには、かつてYONAGOれいるろおど館という楽しい鉄道資料館がありました。閉鎖になって来年3月で2年、米子のまちは寂しくなりました。僕はblackcatさんが米子の街に来てYONAGOれいるろおど館の代わりになる鉄道資料館を作るために米子の街を助けてほしいのです。
そしたら僕が考えてる「米子新鉄道資料館(仮称)」
ができると国鉄ムード溢れる鉄道資料館になり
米子の鉄道のイメージが良くなると思います。
こんなご意見いかがでしょうか?文書が長くなりまし
たがここで失礼させていただきます。
お父様ともどもお変わりございませんか。
お元気そうで何よりです、YONAGOレイルロード館が閉館したことは伺っておりましたが、未だ再開の見込みが立たないのですね。
うーん、確かに興味はありますけどもう少しだけお時間いただけませんか?
私も再チャレンジ中の身ですので・・・汗
(小)なにわさん、お父様にも宜しくお伝えくださいませ。
また、お会いできることを楽しみ氏にて降ります。