![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6e/6c665af45735303a73db4dfcdf07e2b4.jpg)
この形式を聞いてピンと来る方はかなりの通の方ではないでしょうか。
昭和46年、将来の高速化を見据えて車両で、その特徴は「ガスタービン&自然振り子方式を採用した台車」であった。
タービンの方はいろいろなところで解説されているのでさらっと流すとして、この車両台車にも特徴があった。
振り子といえども、変則的な連接式台車を採用しており、車体の1/3の部分にタービン期間を積んだ動力車がのっかり。大半の荷重を運転席がある側で支える方式となっていた。
また、リンク構造はコロ式と呼ばれるもので、もちろん制御振り子の機能などは装備されていなかった。
もしこの車両画が実用化されていれば、世界初の振子気動車になったことは間違いないと思われるが昭和48年に起こった石油ショックなどで開発は一気に中止となり、長い間米子駅構内で留置されていた。
写真は、米子駅に留置中のォハ391系ガスタービン車
昭和46年、将来の高速化を見据えて車両で、その特徴は「ガスタービン&自然振り子方式を採用した台車」であった。
タービンの方はいろいろなところで解説されているのでさらっと流すとして、この車両台車にも特徴があった。
振り子といえども、変則的な連接式台車を採用しており、車体の1/3の部分にタービン期間を積んだ動力車がのっかり。大半の荷重を運転席がある側で支える方式となっていた。
また、リンク構造はコロ式と呼ばれるもので、もちろん制御振り子の機能などは装備されていなかった。
もしこの車両画が実用化されていれば、世界初の振子気動車になったことは間違いないと思われるが昭和48年に起こった石油ショックなどで開発は一気に中止となり、長い間米子駅構内で留置されていた。
写真は、米子駅に留置中のォハ391系ガスタービン車
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