国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄があった時代特別編 第2夜

2007-11-27 00:26:24 | 国鉄思いで夜話
戦後の国鉄は、GHQ(実際にはCTS)による占領軍の軍事輸送を行いながら、戦時中の酷使による老朽施設の更改を強いられていた他、日々増大する輸送量に対しての改善は限られた予算の中で行っていました。
 そんな中、不採算路線の敷設について議論が行われることは有っても、敷設自体に異論を挟むものは皆無でした。

しかし、そんななか、政府は「臨時公共企業体合理化審議会」の答申を受けて昭和30年、運輸大臣(現在の国土交通省)の諮問機関として、『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建について諮問したのです。

委員としては、阪急グループ総帥 小林一三氏や同じく東急グループ総帥 五島慶太氏の名前も上がっており、小林氏は「民営なら開発事業が出来るし、資金調達も自由に行え、創意と責任を持って積極的な経営が出来る。」と発言、五島氏も「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分割し、独立採算制を採用、その上に監督権管理機関を置いて経営すべきだ」との今のJRに通じるような案も今から50年以上前に有ったということを知っておいてください。

昭和31年2月、調査会は、経営形態について答申を行いましたが。
その内容としては、国鉄は引続き公共企業体で行くとのことでした。
そこには、公社として発足したばかりであり、その評価は未知数であることが決め手となりました。
さらに、国鉄の名称を「日本国有鉄道」→「日本国有鉄道公社」とすべき案も出されたそうです。

続く

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