1週間ぶりに更新になります。
今回は、昭和48年から50年頃までの時刻表を参照しながらその変遷を辿ってみたいと思います。
画像引用 一般社団法人南紀串本観光協会
昭和48年頃の和歌山市は、住友金属の城下町として益々発展し、石油製品の需要増加などもあり、初島の東亜燃料【現在のJXTG】や丸善石油【現コスモ石油】の製油所が有り、初島駅近くの引込線には、常にタンク車が屯し、下津駅にも同じくタンク車が屯していたものでした。
初島や下津で精製された石油は、タンク車に載せられ和歌山操駅で組成されて運ばれていました。
現在は、トラックがその任を任されており、専用線の部分は発着場になっています。
余談ですが、和歌山工場はMobil1等のエンジンオイルを生産しており、日本では和歌山ともう1カ所だけだったと思います。
さて、今回は昭和48年の7月、9月、10月しか無いのですが、夏場には面白い列車が走っているのを発見しました。
今年の4月に、円はそれまでに固定相場から変動相場制に移行したとは言え、1ドル260円程度で推移し、海外旅行は、一般的とは言えない時代でした、またディズニーランドなどの大型の集客施設もないため、夏のレジャーと言えば海水浴が一般的で有り、夏場には臨時列車が紀勢本線にも多数運転されていました。
面白いのは、王寺を5:35に出発する御坊行きの臨時列車で、快速日の岬ビーチ号という列車が走っていました。
昭和46年から設定されていたようで、昭和47年夏にも三往復運転されていたようです。
昭和48年7月 時刻表
昭和48年7月の時刻表、王寺発快速、日の岬ビーチ号が設定されています。【正確には、始発列車をそのまま御坊まで延長運転していたことになりますが、こうした柔軟な列車設定は、今後の新しい方向として考えてほしいものですね】
他にも、和歌山駅を0:35に出発する夜行列車364Dが運転されています。
当時の紀勢本線の隆盛が偲ばれます。
時間的に考えれば、新宮までの直通旅客を狙っていたと思われますし、阪和線の最終電車あたりを受けていたと思われます。
夜行列車の方では、いそつり、924列車、臨時きのくに、きのくにの四往復が走っており、中々賑やかです。
特に、臨時きのくには、白浜で停車中に後続の定期急行に抜かれるダイヤとなっています。
この列車なのですが、運転日によっては、客車で運転されていたようで、この辺は国鉄らしいといいますか、変幻自在でした。
もっとも、停車駅が客車と気動車で変更されていますので、一部の人には使いにくい列車であったかと思います。
昭和48年9月 時刻表
夏場にシーズンを過ぎると、季節列車の「いそつり」、「924列車」、「きのくに」の三往復(いそつりは不定期列車)に戻ります。
さらに、昭和48年10月のダイヤ改正では、紀勢本線に関しては大きな変更はありませんでしたが、関西本線では、湊町~奈良間が電化され113系、並びに101系が関西線に投入されました。
関西線に投入された車両は、元大阪環状線で走っていた101系で、山手線と同色の鶯色に塗り替えられました。
ただ、木々の間では緑に溶け込んで判別しにくいとの声があり、黄色の警戒色を正面に巻く独特のイメージとなりました。
また、113系は、天鉄局オリジナルの塗装がなされました。
新快速塗装の青22号をデイゼル急行で使われていた、朱色【赤11号】に変更したもので、天鉄局以外では採用されませんでした。
春日大社の色と言うことで広報がなされましたが、JR発足後は221系が優先的に投入されたため、春日塗り113系の活躍期間は短く、平成2年頃には引退してしまいました。
昭和48年10月 時刻表
その後、東京から山手線の非冷房103系が、山手線ATC導入に伴う配転で阪和線に103系が配転されてきたときも塗り替えが終わるまでのしばらくの間は、関西線の101系同様の警戒帯が巻かれていました。
昭和48年10月の改正では、紀勢本線に関しては大きな変更はありませんでした。
夜行列車も、大きな変化は見られませんでした。
続く
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またはメッセージ、コメントにて
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国鉄があった時代 JNR-era
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今回は、昭和48年から50年頃までの時刻表を参照しながらその変遷を辿ってみたいと思います。
画像引用 一般社団法人南紀串本観光協会
昭和48年頃の和歌山市は、住友金属の城下町として益々発展し、石油製品の需要増加などもあり、初島の東亜燃料【現在のJXTG】や丸善石油【現コスモ石油】の製油所が有り、初島駅近くの引込線には、常にタンク車が屯し、下津駅にも同じくタンク車が屯していたものでした。
初島や下津で精製された石油は、タンク車に載せられ和歌山操駅で組成されて運ばれていました。
現在は、トラックがその任を任されており、専用線の部分は発着場になっています。
余談ですが、和歌山工場はMobil1等のエンジンオイルを生産しており、日本では和歌山ともう1カ所だけだったと思います。
さて、今回は昭和48年の7月、9月、10月しか無いのですが、夏場には面白い列車が走っているのを発見しました。
今年の4月に、円はそれまでに固定相場から変動相場制に移行したとは言え、1ドル260円程度で推移し、海外旅行は、一般的とは言えない時代でした、またディズニーランドなどの大型の集客施設もないため、夏のレジャーと言えば海水浴が一般的で有り、夏場には臨時列車が紀勢本線にも多数運転されていました。
面白いのは、王寺を5:35に出発する御坊行きの臨時列車で、快速日の岬ビーチ号という列車が走っていました。
昭和46年から設定されていたようで、昭和47年夏にも三往復運転されていたようです。
昭和48年7月 時刻表
昭和48年7月の時刻表、王寺発快速、日の岬ビーチ号が設定されています。【正確には、始発列車をそのまま御坊まで延長運転していたことになりますが、こうした柔軟な列車設定は、今後の新しい方向として考えてほしいものですね】
他にも、和歌山駅を0:35に出発する夜行列車364Dが運転されています。
当時の紀勢本線の隆盛が偲ばれます。
時間的に考えれば、新宮までの直通旅客を狙っていたと思われますし、阪和線の最終電車あたりを受けていたと思われます。
夜行列車の方では、いそつり、924列車、臨時きのくに、きのくにの四往復が走っており、中々賑やかです。
特に、臨時きのくには、白浜で停車中に後続の定期急行に抜かれるダイヤとなっています。
この列車なのですが、運転日によっては、客車で運転されていたようで、この辺は国鉄らしいといいますか、変幻自在でした。
もっとも、停車駅が客車と気動車で変更されていますので、一部の人には使いにくい列車であったかと思います。
昭和48年9月 時刻表
夏場にシーズンを過ぎると、季節列車の「いそつり」、「924列車」、「きのくに」の三往復(いそつりは不定期列車)に戻ります。
さらに、昭和48年10月のダイヤ改正では、紀勢本線に関しては大きな変更はありませんでしたが、関西本線では、湊町~奈良間が電化され113系、並びに101系が関西線に投入されました。
関西線に投入された車両は、元大阪環状線で走っていた101系で、山手線と同色の鶯色に塗り替えられました。
ただ、木々の間では緑に溶け込んで判別しにくいとの声があり、黄色の警戒色を正面に巻く独特のイメージとなりました。
また、113系は、天鉄局オリジナルの塗装がなされました。
新快速塗装の青22号をデイゼル急行で使われていた、朱色【赤11号】に変更したもので、天鉄局以外では採用されませんでした。
春日大社の色と言うことで広報がなされましたが、JR発足後は221系が優先的に投入されたため、春日塗り113系の活躍期間は短く、平成2年頃には引退してしまいました。
昭和48年10月 時刻表
その後、東京から山手線の非冷房103系が、山手線ATC導入に伴う配転で阪和線に103系が配転されてきたときも塗り替えが終わるまでのしばらくの間は、関西線の101系同様の警戒帯が巻かれていました。
昭和48年10月の改正では、紀勢本線に関しては大きな変更はありませんでした。
夜行列車も、大きな変化は見られませんでした。
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