国鉄監査委員会とは
国鉄監査委員会は、従来の経営委員会に変わる組織として、昭和30年6月に設置された日本国有鉄道経営調査会が検討を重ねて、調査・審議を行ったもので。
その趣旨に基づき、日本国有鉄道法が改正されて設立されたもので、それまでの経営委員会に代えて、理事会を最高意思決定機関とするとともに、監査機関として新たに監査委員会が設置されたのでした。
監査委員会は、国民的立場から国鉄の経営を監査し、真に国民全体の利益となるような公正で能率的な国鉄の運営に資することであるとして、監査委員会の委員は運輸大臣によって任命されることになっていました。
これにより、国鉄部内の理事が力を決定権を持つとともに、その行為を外部から監査する事になりました。
国鉄の監査委員に推薦したのは誰か?
国鉄監査委員長に石田を推薦したのは誰だったのかと言うことで、調べてみますと。
同じ国府津の住人であった、十河信二総裁であったわけですが、それ以上の詳細は書かれていませんので省略させていただこうと思いますが、経団連会長を務めた、石坂泰三氏とは40年来の付き合いであり、池田内閣が十河総裁の後任に財界人から総裁をと言ったときに、強く推薦したのが石坂泰三氏であったそうです。
その辺は、後ほど改めて述べさせていただきます。
「粗にして野だが卑ではない」
就任半年後の座談会で、その後有名な、「粗にして野だが卑ではない」発言が出てきます。
要は、自身は「国鉄部内の人間ではないから、組織に飼い慣らされているわけではないから、そうした意味でワイルドである。(大胆に発言できる)という意味で発言したようです。
その背景には、つまりあなた方はテーム(従順)なんだ。私は国鉄というものに対して今までストレンジャー(門外漢)であったために、甚だワイルドなんだね。けれども粗にして野なれども卑ならずというわけで、この点は一つ十分御了解願いたいですな。しかしここに西野君のような経理に関する非常な権威者がいて、一緒にやっていてくれるので、大いに意を強くしているのですよ。
国鉄線 昭和32年1月号 国鉄人に望む から引用
他にも、石田禮助問い人となりを知る上で気づかされるのは、外国での生活も長かったこともあり、非常に合理的であったと言うことが言えます。
そして、ある意味で公平無私な人であったと言えそうです。
監査委員長当時でも、ノンキャリア組の抜擢などを進言したりしており、国鉄という硬直した組織を少しでも良くしようと尽力されたそうです。
以下は、就任半年後の昭和32年1月、国鉄線という国鉄部内紙に掲載された新春座談会の記事からの引用です。
ここで発言されていますが、非常に熱心に国鉄を少しでもよくしていこうという思いがくみ取れるかと思います。
それでいろいろ勉強しましたね。しかし勉強したものの、国鉄の仕事の範囲があまりに広いので、まだ自分としては、あえて小学校とはいわんが、中学校も一年生くらいのところだと思う。私が監査委員会で石井さんなんかに対してお話しすることも、あとで顧みるとどうも生はんかだったと忸怩たることがある。石井さんはほめるようなことをいっているが、結局私のいうことが少しワイルド(粗野)なんだね。これから大いに勉強して、いかにしたらすっきりした国鉄にすることができるか、まじめにやろうと思う。ただ、あえてお断わりする必要もないのだけれども、私の念願は何とか国鉄をりっぱなものにしたい、要するに新しい国鉄精神を打立てたいということで、そこに私の誠がある。
さらに同じ記事の後半では、下記のように発言されています。
国鉄という組織が硬直化して、昔の鉄道省の残滓が所々に残っているからそうしたものを是正すべきで有ると明言しています。
少し引用してみたいと思います。
封建性ということはどうかと思うが、今のところは鉄道省というものの残滓がまだだいぶあるな。つまり、企業性に欠けているというのは鉄道省の名残だと思うな。たとえば例の一年に3000億も入る金の処理について経理局長とだいぶゃったんだが、あのフアイナンス(経理)のやり方というようなものは、ある記者が批判しておったように、「国鉄は12才なり。」というきらいが確かにあると思うな。
2枚とも、昭和32年1月 国鉄線 対談 国鉄人に望むから引用
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国鉄があった時代 JNR-era
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