中々前に進みません、申し訳ありません。
今回は、紀勢本線の夜行列車のダイヤを中心に変遷を辿ります。
今回は、昭和47年からスタートさせていただきます。
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画像は、「白浜の観光地、千畳敷」
昭和47年という年は実は2回大全国白紙ダイヤ改正が行われた珍しい年です。
昭和47年3月は、山陽新幹線岡山開業で白紙ダイヤ改正が行われ、10月には再び全国ダイヤ改正が行われています。
最初は、昭和47年3月の時刻表を見ていただきましょう。
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山陽新幹線が開業し、余剰となった153系が新快速の増発に充てられ、天鉄局でも新快速が運転されることとなり、大鉄局の虎の子113系冷房改造車を転出させることになりました。
大鉄局は、当時は数少ない冷房車で有り、かなり抵抗したそうですが、結局最終的には本社に押しきられる形で転出しました。
余談ですが、転出した113系ですが、冷房試作車だったため、113系で有りながら扇風機併用のタイプなどがありました。
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阪和線の新快速時刻表
阪和線は上下とも20分発となっており、天王寺~和歌山間を45分で結びました。
特急列車は、季節列車も含めて新宮まで走っており、特急と急行を合算するとかなりの列車が走っていたことが判ります。
特に、特急列車は4時間ほどの営業ですが新宮までの列車にも全て連結され営業がされています。
気になるのは、9:20天王寺発の臨時特急ですが、このままでは新快速と被ってしまうのですが、新快速のダイヤを修正したのでしょうか?少し気になります。
他にユニークな列車名として、きのくに51号ですが、【いそ遊び】という愛称が付いており、パック商品として販売されたのでしょうか。
更に天王寺駅を8時台から10時半まで次々と天王寺から下っていきます。
圧巻は、9:00~9:30まで、さらに10:00~10:30の間、10分おきに列車が下っていきます。
天王寺は現在の1番から3番の2本のホーム、頭端式のホームで勝つ長距離列車なのにこれだけ捌いたなぁと感心してしまいます。
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夜行列車は、季節列車の快速「いそつり」新宮行き、924列車名古屋行き【寝台車は新宮で切り離し】きのくに14号の順番で並んでいます。
「いそつり」は快速列車でありながら愛称を持たせてあるのは、マルスに収用していたからでした。
なお、924列車の寝台車は、当時はマルスには収納されておらず、窓口で購入する形になっていました。
さて、実は昭和47年は鉄道100年の記念すべき年であり10月1日にも実は国鉄ではダイヤ改正が行われています。
90年の記念では、C53が復元され東海道本線を走行、大阪駅で展示後、浪速貨物駅経由で当時建設中だった。交通科学館【後の交通科学博物館】にマイテ49他と一緒に、直接搬入されそのまま火を落としたと言われています。
100周年では、現在の京都鉄道博物館の梅小路機関庫【当時は梅小路蒸気機関車館】が開業、先程のC53は再び引っ越しとなり、現在の京都鉄道博物館に一足先に鎮座していました。
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紀勢本線の時刻表を参照しますと、8:40のくろしお号の後に、「汽車ぽっぽ南紀号」という列車が走っています。
これは、和歌山~C577号機が牽引した列車で12系客車が竜華に配置されており、この客車が使われました。
私は、翌年のSL南紀号に紀伊田辺まで乗車したことがあるのですが、12系客車の場合、冷暖房完備のため、快適で煤煙が入ってくる心配もなく安心できたものでした。
他にも昼からの列車ですが、天鉄局の企画列車で、ハマブランカ号という列車が走っています。
こちらも。12系客車を利用した列車でした。
お恥ずかしい話ですが、20系客車を見たことがなかった私は、たまたま和歌山駅で見かけたハマブランカ号が12系客車で運転されているのを見て、和歌山にもブルートレインが走っている・・・と勝手に感動していました。
昭和47年ですから、小学校5年生の頃です。
なお、現在はアドベンチャーワールドが白浜の観光地のイメージが強いのですが、当時は三段壁の近くにあった、ハマブランカという植物園が、一番の人気施設でした。
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夜行列車に関しては大きな変更は無さそうで、引き続き3本体制です。
なお、昭和48年以降は、改めてアップさせていただきます。
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続く
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今回は、昭和47年からスタートさせていただきます。
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画像は、「白浜の観光地、千畳敷」
昭和47年という年は実は2回大全国白紙ダイヤ改正が行われた珍しい年です。
昭和47年3月は、山陽新幹線岡山開業で白紙ダイヤ改正が行われ、10月には再び全国ダイヤ改正が行われています。
最初は、昭和47年3月の時刻表を見ていただきましょう。
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山陽新幹線が開業し、余剰となった153系が新快速の増発に充てられ、天鉄局でも新快速が運転されることとなり、大鉄局の虎の子113系冷房改造車を転出させることになりました。
大鉄局は、当時は数少ない冷房車で有り、かなり抵抗したそうですが、結局最終的には本社に押しきられる形で転出しました。
余談ですが、転出した113系ですが、冷房試作車だったため、113系で有りながら扇風機併用のタイプなどがありました。
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阪和線の新快速時刻表
阪和線は上下とも20分発となっており、天王寺~和歌山間を45分で結びました。
特急列車は、季節列車も含めて新宮まで走っており、特急と急行を合算するとかなりの列車が走っていたことが判ります。
特に、特急列車は4時間ほどの営業ですが新宮までの列車にも全て連結され営業がされています。
気になるのは、9:20天王寺発の臨時特急ですが、このままでは新快速と被ってしまうのですが、新快速のダイヤを修正したのでしょうか?少し気になります。
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他にユニークな列車名として、きのくに51号ですが、【いそ遊び】という愛称が付いており、パック商品として販売されたのでしょうか。
更に天王寺駅を8時台から10時半まで次々と天王寺から下っていきます。
圧巻は、9:00~9:30まで、さらに10:00~10:30の間、10分おきに列車が下っていきます。
天王寺は現在の1番から3番の2本のホーム、頭端式のホームで勝つ長距離列車なのにこれだけ捌いたなぁと感心してしまいます。
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夜行列車は、季節列車の快速「いそつり」新宮行き、924列車名古屋行き【寝台車は新宮で切り離し】きのくに14号の順番で並んでいます。
「いそつり」は快速列車でありながら愛称を持たせてあるのは、マルスに収用していたからでした。
なお、924列車の寝台車は、当時はマルスには収納されておらず、窓口で購入する形になっていました。
さて、実は昭和47年は鉄道100年の記念すべき年であり10月1日にも実は国鉄ではダイヤ改正が行われています。
90年の記念では、C53が復元され東海道本線を走行、大阪駅で展示後、浪速貨物駅経由で当時建設中だった。交通科学館【後の交通科学博物館】にマイテ49他と一緒に、直接搬入されそのまま火を落としたと言われています。
100周年では、現在の京都鉄道博物館の梅小路機関庫【当時は梅小路蒸気機関車館】が開業、先程のC53は再び引っ越しとなり、現在の京都鉄道博物館に一足先に鎮座していました。
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紀勢本線の時刻表を参照しますと、8:40のくろしお号の後に、「汽車ぽっぽ南紀号」という列車が走っています。
これは、和歌山~C577号機が牽引した列車で12系客車が竜華に配置されており、この客車が使われました。
私は、翌年のSL南紀号に紀伊田辺まで乗車したことがあるのですが、12系客車の場合、冷暖房完備のため、快適で煤煙が入ってくる心配もなく安心できたものでした。
他にも昼からの列車ですが、天鉄局の企画列車で、ハマブランカ号という列車が走っています。
こちらも。12系客車を利用した列車でした。
お恥ずかしい話ですが、20系客車を見たことがなかった私は、たまたま和歌山駅で見かけたハマブランカ号が12系客車で運転されているのを見て、和歌山にもブルートレインが走っている・・・と勝手に感動していました。
昭和47年ですから、小学校5年生の頃です。
なお、現在はアドベンチャーワールドが白浜の観光地のイメージが強いのですが、当時は三段壁の近くにあった、ハマブランカという植物園が、一番の人気施設でした。
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夜行列車に関しては大きな変更は無さそうで、引き続き3本体制です。
なお、昭和48年以降は、改めてアップさせていただきます。
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続く
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