酒馬鹿三兄弟、次男の岸壁はしご酒

酒は飲んだら飲まれましょう、しかし仲良く。拙い酒と乱暴ポエトリ月夜の酩酊ランデブー

one push

2020-02-27 14:51:31 | 

 

 

 

 

 

 

これではもう一つ  もう一押し

けん引する物の
虎の様な

ドクニンジンの様な
縛り付けるもので、

 

黒い鳥を殺せ くさびで殺せ

俺の敵になれ


それこそお前に望むことだ


これではもう一つ  もう一押し

立ち上げる物の
目の無い龍の様な

スピードボールの様な
凍らせるもので、

黒い島に入れ  銃剣で探せ

俺に塹壕を掘れ


それこそお前に望むものだ

 

拾い上げたものはたったの石だろ
それでもそれを口にしな

見つけられたものはちっぽけな情念だとして


それでも

それを見せてくれ

これではもう一つ  もう一押し

俺を殺してから、 

中から探しだして
八つ裂きにしてもいいから

お前の生を存分に楽しんでくれ

たとえ

 

 

憎しみによって生きるとしても。

 

俺は心からそう願っている

 


三聖吸酸   

2020-02-21 14:58:56 | 

 

 

 

 

 

 

この世は、苦しむものだと
重い荷を背負って
坂道を登るとか
誰が決めたのかね
 
この世の蜜も 酢も 甘い
 
だのに
苦しんで生きろと
生きると言うことは 苦しみの
連続だ と
 
あいつは言ったんだ
木の下で座り続けて
悟ったというが
 
そいつは貴族の生まれで
生きるために飢えていたわけでも
 
人を殺さなきゃ自分が
生きられなかったわけでもないだろう
 
不幸の刺繍でチクチクした、 上流人間
って思えなくもない
 
そいつは苦悩を生来って言って美徳に
したが
 
本当に苦しみ
生きるものは
ただ笑えることさ、と、
 
苦み走りながらでも
求めるものだ

 

あの

沖縄の

おじいや

おばあのように

 

 

 

出典

≪三人の男が、大きな酢桶をかこんで立っている。それぞれの指に酢を浸して、味見をしたばかりだ。ひとりひとりの表情に、三人三様の反応があらわれている。絵は寓話的なものだから、このひとたちがただの酢の味ききではなく、中国の「三教」の代表だということ、そして味を見ているその酢が人生の本質(エッセンス)を象徴していることを心得ておくほうがいいだろう。三人の導師(マスター)とは、孔子、仏陀、そして現存する最も古いタオイズムの著者、老子だ。一人目はすっぱそうな表情を浮かべ、二人目は苦い顔、なのに三人目はほほえんでいる。

 孔子にとって、人生は、どちらかというとすっぱいものだった。現在は過去と足なみをそろえていないし、地上の人間のまつりごとは、宇宙のまつりごとである<天の道>と調和していないと考えていたのだ。だから彼は<先祖>をうやまうことを、皇帝が<天子>として無限の天と地を仲立ちする、古来の典礼や儀式と同じくらい重視した。儒教のもとでは、整然とした宮廷音楽、定められた立居振舞と言いまわしを用いる非常に複雑な儀式制度がつくりあげられ、それぞれ特定の目的で特定の時に使われていた。孔子について、こんな言葉が記されている。「敷物がまっすぐでなければ、師はお座りになろうとしなかった」。これで、儒教のもとで諸事がどのように行われたかおわかりだろう。

 絵の中の第二の人物、仏陀にとってこの世の生活は苦しみを招く執着や欲望に満ちあふれた苦々しいものだった。この世は罠をしかけ、妄想を生みだし、あらゆる生き物をを苦しめる際限のない輪廻であるとみなされた。心の平安を見出すには、この「塵界」を超え、サンスクリット語で文字通り「無風」状態を意味するニルヴァーナ(涅槃)に達するしかない、と仏教徒は考えた。発祥の地インドから中国に渡ったのち、仏教は本来楽天的な中国人のおかげでずいぶん変わったけれど、それでも敬虔な仏教徒は、日常生活の苦い風にニルヴァーナの道をさまたげられる感じることがしばしばだった。

 

 

老子にとって、そもそものはじめから天地のあいだにあった自然の調和は、だれもがいつでも見出しうるものだった。といっても、儒教のきまりにしたがっていては無理だ。『道徳経』にもあるように、地は、その本質において天を映しだしており、おなじ法則によって営まれている----人間の法則によってではない。これらの法則は、遠い惑星の回転ばかりでなく、森の鳥や海の魚の活動にも影響をおよぼしている。老子によれば、宇宙の法則によってつくりだされ、支配されている自然のバランスに人間が介入すればするほど、その調和は遠のいてしまう。無理をすればするほど、問題が大きくなる。軽重、乾湿、遅速にかかわらず、万物はその内に独自の性質をもっており、それを無視すると面倒が起こらずにはすまない。観念的で一方的な規則が外から押しつけられれば、どうしても軋轢が生じる。人生がすっぱくなるのはそのときだけだ。

 (中略)それから何世紀ものあいだに、老子の古典的な教えは、哲学的、求道的、民間宗教的な諸形態にわかれて発展していった。これからすべて大きくひとまとめにして、道教(タオイズム)と呼ぶことができる。けれど、ここでとりあげているタオイズムの基本は、あらゆる日々の営みの真価を充分に認め、それから学びとり、それとつきあっていく、ひとつの特別なやり方にすぎない。タオイストの見方では、この調和のとれた生き方がおのずから幸福をもたらす。明るい落ちつきこそ、タオイストの人格のいちばん目立つ特徴といっていい。それに微妙なユーモアのセンス。

    pilgrim

2020-02-18 12:50:15 | 

 

 

 

 

 

 
解剖学者で、脳科学者のあの虫好きの老人が言うことの、多くを
 
俺は案外気に入っている
 
軽妙にしたたかに笑う語り口の真実は玉虫色で
いろんなところに着地して、人の話を茶化し放題
或いは話柄をすりかえる。
 
あの術が嫌いではない
 
ただ、
 
死を遠ざけ、向き合うことが出来ないなら、
死ななくていいから生まれないで下さいと言うしかない
との言葉に
俺は噛みついた
 
 
死を想え
 
それはそうだろう。
藤原新也もそう言ったしな
 
だが、生まれることを選択したのは俺たちじゃない
そうだろう
 
好きで生まれたわけじゃあない、
生まれた以上生きていくしかない、
 
 
好んでこの世に生を受けた奴がいるのか、
 
まあ、もしかしたら
チベットのあの輪廻の少年はそうして生まれたのかもな
例えば前の記憶を持ったままいる 10歳の少女なんてのもいたりして
そういう人もいるかもしれない
 
なぜこの世の不調和な頭でっかちの邪で哀れな
混沌と無秩序に苛まれたままの
人間を好んで選ぶのか、俺にはわからないが。
 
虫けらでもいいのか、飢えた水草や稲妻や、動物園のパンダでいいか、
それもわからないが
 
身悶える様な人間でいることは確かに骨折りだ
 
しかし苦も無く世を渡る人間にありたいと
そうも思えない
 
人間として死にゆく  
その時間の過ぎる中
何も見つからなくても 何かを失っても
生まれた以上は、生きるだろう
そして
全ては通過点でしかない
 
 
 

紛い者達の偽薬

2020-02-07 11:35:22 | 

 
 
 
街の中の 町と言う街が燃え
 
古い習わしの消防隊が並び
大袈裟な金切り声   夜ごとの 水を飲み干し
 
グラスを握って危ない欄干を渡る
 
新しい無双を求めている 奴と言う奴すべてが燃えさかり
 
俺の中ではすべての島の鳥が泣き叫ぶ
 
 
昔に気付いていた儀式はもう 無駄になり 灰になり 海に捨てる
 
まるで乞食の骨のだ、
 
けれども
不気味な言葉の裏で 統一された愛も無くはない
 
新しい秩序も無駄だとしても こっそり隠し持つ
 
 
心臓の温度の中の 小さなプラシーボのような
 
 
秘めたレメディーも無いではないさ