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記憶に残るレーサー:ヨッヘン・マス

2012-08-07 11:41:35 | 日記

え~先日に続いて夏休み中のF-1ネタと言うことで、過去の記憶に残るレーサーその2です。

実は前回のブランビラさんと記録上の共通点があります。それもこの二人以外には存在しない共通点です。(それはおいおい)

70年代Fー1においてこの方も欠かせない顔です。

ブランビラさんもそうですが、F-1で顕著な成績残せなくても他のカテゴリーではチャンピオンに匹敵する活躍をしてまして、ツーリングカー、スポーツカーでは多くの勝利を飾っております。

とは言え、あまたのF-1ドライバーの大半が未勝利(日本人も全て)の中で1勝でもできたらそれはそれで素晴らしいことかと思います。

この方、1975年に最初で最後の優勝をしております。ただ、レースが事故で途中中断して走行距離が半分以下だったので、点数が半分。どこかで聞いた話だなぁと思った方、前回の話をよく覚えてらっしゃる。ブランピラさんも同じなんですねぇ。1975年に生涯唯一のF-1GP優勝を飾るも点数半分。こんな共通点他には居ません。だいたい優勝する実力がある人はたった1勝で終わらないのが普通かと思うんですよ。(もちろん、先ほどのお二人が実力がないと言っては居ませんが)つまり1勝で終わる人って珍しい。それでもって個性派じゃないかと。

70年代に生涯1勝で終わった方を思いだすと

J.P.ベルトワーズ・・・・1972年モナコ~60年代から活躍も、色々ありましたてキャリアの下り坂かなって頃の雨のモナコでのぶっちぎりでした。二輪からの転向でやはり異彩を放つ個性派かと。

F.セベール・・・・1971年アメリカ~2年後の事故がなければ1勝で終わらなかったはず。

カルロス・パーチェ・・・・1975年ブラジル~同じく2年後の事故がなければ・・・。

の他は先の二人にしか居ない。

マスは在籍時代チャンピオンを2度も排出したマクラーレンにいて通算1勝ですから、まあ~ナンバー・ツーがポジションだったんだろうかと思います。

しかしながら、ラウダの事故で有名な1976年ニュルブルクリンクのレースでは、タイヤの読みがずばり当たってぶっちぎりでトップを走っていたのにラウダが事故って再レースになってしまい、地元での優勝をし損なったとか、惜しいレースがいくつかあったかと思います。

その後の走らないマシン~アローズ~でもパトレーセ(F-1通算6勝)といい勝負したり、実力はありそうなのにポカが多いとか。まあ~F-1に限ったことなんで、ポルシェでのイクスとのコンビ、メルセデスのCカーで活躍など、十分に実力を発揮したレーサーかと思います。また、かのシューマッハーにメルセデス時代レースのいろはを教えた先生としても有名。

これは唯一の優勝を飾った時のショットです。背の高いインダクションボックスが印象的です。

 

 



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