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こんの ROAD TO V20 その2 tokyo

2005-03-02 11:51:33 | 渡辺美里さん
この年の西武チケットは即完売でした。
電話が繋がった瞬間に売り切れだと知り、受付の人に
「どうしても行きたい。」と、お願いしてみた。
「キャンセルが出るかもしれないから、改めてこの日に電話してみてください。」
とのこと。
再度連絡したら、取れました。しかも地元にはない丸井チケットだったので、現金書留で送金し郵送していただく事になった。とても嬉しかった。
チケットが届いて驚いたのは、アリーナ席だった。その頃はファンクラブに入会していませんでした。アリーナ席はファンクラブでしか取れないと思っていたから舞い上がりました。その頃は今のようなブロック席ではなく、列番の並びでした。

この年は大学の科目を習得するために、夏一ケ月間東京生活を送る事にした。なれない共同生活ですぐにホームシックになり、壁が真っ白な病院のような施設でテレビがない。しかも、お金がなく学食や立ち食いそば屋に行っていた。学食のカレーだけは美味しかった思い出がある。
中期の体育の授業を受けに、下高井戸の校舎まで通う事になった。校歌の練習やフォークダンスの練習もあった。男子は夏の暑いグラウンドで、がむしゃらに走らされていて倒れる人が後を絶たなかった。
休憩時間に校舎の屋上から、上半身乗り出して向かい側にある高校を眺めていたら、美里さんの母校である事に気付いた。分かった瞬間、顔がにやけてしまいルームメイトに
「何か楽しそうだね。」
と、言われてしまった。なぜかまではいえなかった。自分で選んだ東京生活であったが、現実的には厳しかった。だけど、美里さんの母校があるだけで幸せな気持ちになれました。
西武ライブの前日、体育祭であった。これに出ないと単位がもらえない。そのBGMは美里さんの
「サマータイムブルース」であった。何度もかけていたのを覚えている。わしはリレーに出たが最初トップだったのに転倒してしまった。今では笑える。

翌日、美里さんの西武ライブを見た。
初めて体験するアリーナは、声援が地面から突き上げるような感じがした。
最初の3曲目ぐらいが終わったところで、ライト側から
「せいのっ!」
と、声がかかり自然発生的にウエーブが起こった。当時、わしは野球中継では見たことがあったが、間近に見て感動した。美里さんも驚いていた様子だった。
「すごいね~みんな練習したの?」
と、尋ねられた。前年雨で中止になった西武球場でのリベンジだったんだろうか?スタジアムでのライブの醍醐味を感じた。
アリーナ席でもやはり美里さんは小さかった。だけど歌が心に響いてくるのを感じた。
ノリノリの曲あり、じっくり聴かせる曲もありよかったなあ。
印象に残っているのは、美里さんが背中に蝶の羽とたくさんの電飾をつけて歌ったメドレーであった。今考えると、すごい演出だなあと思った。東京ディズニーランドのエレクトリカルパレードを思い出した。
「tokyo」では、セットに東京タワーがあって、それに上って歌った。
「きみは出会い、きみは別れる」
っていうフレーズがあって、東京生活がよぎった。
この年から歌い始めた「サマータイムブルース」でみんながサビの部分で手を上げて手拍子をする。最後には大合唱となる。ナイアガラの滝のような花火の演出があった。
美里さんが
「もう一回、ウエーブ見せてくれないかなあ?」
と、客席にお願いした。
そうしたら、歓声とともにウエーブが客席からおきた。美里さんとファンのつながりってすごいなあと思った。一緒にウエーブを追いかけていた美里さんの姿をみてほほえましいと思いました。
行けてよかったなあ。