3月 春のお彼岸に実家で線香を手向けた後に拙者が結婚した当時に建て替えた倉庫の中を散策?!していたらDXを始めた当時の受信ログ帳を発見!
拙者の1st DX QSOは開局1ヶ月後の1973年10月21日に21MHZ SSBでJD1AHI(硫黄島)OPはJA1BA 石川OM とでした。
本当の?海外局とのDX QSOは翌年1974年10月6日VK/ZL(現オセアニア)コンテストでKH6IJ 野瀬OMとの交信
そして、私を本当にDXingの虜にした アメリカンサモアのWH8AAP LYNNさん(YL)と1986年4月29日(昔の天皇誕生日)21.130KHZ CWでの交信
いやあ~~、懐かしい記録物が発掘されました!
JA1BA石川OMの運用するJD1AHIは硫黄島の翌年に南鳥島から同じコールサインでQRVされた時も21MHZのSSBで交信出来ています。
未だこの時は電話級アマチュア無線技士(現4アマ)時代で高校入試前後の微妙な時期でもありました hi
WH8AAP LYNNさんとの交信後、HF帯の電波伝搬の不思議さを更に探求するために上級資格取得を目指し
電子科(高校)卒の文科系(大学)男子のお受験が始まった時期です!
今でもそうですが、算数・数学の不得意な拙者が電子科に入学した事に疑問が有ったのですが、他の教科の余禄で何とか卒業出来た!と今でも思っています。
電気工事士の資格を取ろうと頑張っていた当時、三相交流のデルタ決戦結線やスター結線(だったと記憶しています)で悲鳴をあげ
上級アマチュア無線技士問題集(当時)の「キルヒフォッフの法則」が夢にも表れて眠れぬ夜が続きました(夜間DXingではありません)
フレミングの右手・左手の法則と表皮効果で上級資格が取れたと現在でも思っています。
↑ の受信ログ帳の他にRTTYやFAX通信(パナファックス3000等でHF帯での)を始めた頃の資料や現在のDXクラスターの先駆けとなった
パケットクラスターの書類等々を発掘しました。
JA7MYQ佐々木氏等と日本全国を結ぶパケットクラスター網を造ろうとTNCや430MHZのTRXを山形・秋田・宮城の県境の山頂設置とか
あの頃のパワー・情熱は何処に行ってしまったのでしょうね。取り戻したいなあ~