明日は模試。
一応なんかやっとくべきかなぁ、って思って
社会の教科書を開いてたけど、ちょっち休憩。。
『うそ』
うそだよ。
全部、かな。
画面の向こうでは
女か男かもわからない。
幾度も演じてきた。
男も女も。
いろんな名前も使った。
違う名前で
同じ人にも会えるくらい、
積み重ねをしてきた。
文字で
記号で
なんでも装うことができる。
便利な世界だ。
「うそだし(≧v≦)ワラ」
とか打ちながらも
本体は無表情なままでいられる。
都合がいい。
人が歩く世の中に居るより
ずっと楽だ。
すっと。
笑わなければいけなくて
急がなければいけなくて
怒らなければいけなくて
合わせなければいけなくて
喜ばなくてはいけなくて
喋らなくてはいけなくて
楽しくなくちゃいけなくて
泣かなくてはいけなくて
それができないヤツは、
外れなければいけない。
「集団」から
だから皆『うそ』を覚える。
他人の為に。
自分の為に。
そして平気で『うそ』を吐く。
僕は『うそ』が得意だ。
けれども、そのコトは『うそ』ではない。
うそつきは、
誰も信じることができない。
自分は『うそ』しか知らないから、
他人も全部『うそ』に見える。
仕方ない。
自業自得なのだ、と思う。
だが『うそ』は止まらない。
今まではき続けてきた『うそ』は、
反省の念を持っていても
うそのように簡単に『うそ』を吐き捨てる。
昔から嘘吐きだったけど、
今までのものが全部うそではない。
本当だよ。
好きなものは好きだし、
嫌いなものは嫌いだもん。
うそを『うそだ』って伝えられる存在だって、居る。
でも、うそはうそなんだよ。
もし、相手も『うそ』だったら、
僕はその人の『うそ』に付き合うのだ。
もし、相手が『本当』だったら、
僕だけが『うそ』を吐くだけだ。
曖昧も何もない。
個人本人の判断は、
そいつにしかわからない。
そういうモノだ。
だから僕は、安心して『うそ』を吐く。