アリ@チャピ堂 お気楽本のブログ

日々の読書記録を勝手きままに書き記す

「ノルウェイの森」は村上春樹自身による解題なのか

2011-10-19 20:00:00 | 小説
井戸、ねじまき、アイロンがけと掃除、猫・・そして姉妹

  
「ノルウェイの森 上 」 村上 春樹(著) 講談社 1987年 

 
「ノルウェイの森 下 」 村上 春樹(著) 講談社 1987年

幾度も書いているが、初めて呼んだ村上春樹が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だった
1985年4月第1刷で我が家にあるのは7月の第4刷
読んだのはこの頃だろう
我が家にある「ノルウェイの森」は上下とも1987年9月第1刷
「世界の終わりと・・」が面白かったので書店店頭に並んですぐ買ったに違いない
この間に「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」を読んだのか定かでない
ただはっきりしているのは、この本の印象がまったく残らなかったことだ

「ノルウェイの森」を最低の小説と決め付ける人がいて
そんなにひどかったかなと読み返した
2度読んだのにやはり印象が残らなかった
「ねじまき鳥クロニクル」を読んでから3度目を読み直して
これは村上春樹による自身の作品の解題であるのかと思わされて
そうしてようやくこの小説の印象が刻まれた

物語としては腰巻の「100パーセントの恋愛小説!!」という惹句の通りべたな恋愛小説で
最初の数行から結末まで読者の期待に沿って破綻なく物語りは進む
「海辺のカフカ」のようにさまざまな結末を期待しながら
あっさりとはしごをはずされてしまったような感覚とは大きく違う
その時代の若者の喪失感覚が事細かに描かれていく
そこにはファンタジーもホラーもシュールレアリスムもない
ただ、最後の最後にに主人公は他の村上作品の主人公と同じように
時間的空間的にも自己の不存在という村上春樹のメタ小説的「存在」形式がほのめかされ
これが彼の物語に通底する「人間」の深い悲しみを
声に出して叫んでいることになるのか

「世界の終り・・」がとても新鮮で印象深く心に刻まれていたので
同じ作家の作品をそれなりに評価しなければいけない
でも、どこを掬ったら同質のエッセンスが垣間見れるのか
終りの数行だけ?
「僕はどこにいるのか・・」って?!
君はどこにもいなかったじゃないか
最後に何を言い出すんだとあきれる・・そう思えば
最低の小説と言い切った人の気持ちもわからなくもない

喪失感、若者の絶望ほど悲劇的なものはない
そして、そのことの本質から導かれるのは
それは誰かに底なしの井戸に落とされたからそうなったのではなく
我々は井戸の底に生まれてくる者なのだということ
生まれながら孤立無援であったのだから
それをことさら書き立てる行為に納得がいかない
それを明らかにすることに文学の意味がある?

他人のことをあれこれいえないが
井戸の深さを埋めていくのが人間の力
自分の発見なのだろう
自分もそれに失敗している(今だ井戸の中か)ようで
大きなことは言えないが
ある種の人たちの人生の最大の目的は「脱出」なのだろう
その穴の中に居ることにさえ気づかない人々も確かにいるから


ここまでわかり易く村上作品を読み下すことができる、最良の参考書

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 村上春樹が我々に刷り込むも... | トップ | 国境の南、太陽の西そして・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事