アリ@チャピ堂 お気楽本のブログ

日々の読書記録を勝手きままに書き記す

「ヴァリス」 5

2010-10-25 21:25:54 | フィリップ・K・ディック
宗教を考察することの誤り


「石器時代からエレウシスの密儀まで 世界宗教史1」 ミルチア エリアーデ 著
荒木 美智雄・ 奥山 倫明・中村 恭子・松村 一男訳 筑摩書房 1991年発行

「ヴァリス」にもエリアーデの言葉が引用されている
とても面白い読み物だ
読み方としては、ぱっと開いたところから読む
体系的に読んではいけない
これは博物学の本である
それぞれの時代のそれぞれのビジョンは
関連しているようで過去とも未来とも隔絶する
意識の世界を離れれば時間に方向性はなくなる
「神」の概念は時間を超越し時間の流れによって語ることはできない
畢竟、「自分」という霧箱に投影された飛跡(秘蹟か!)を読むしかない
無限小も無限大も定義不可能なリアルな世界では
最小単位の「自分」が最大化する
全3巻を初めから終わりへと読み進めることなく
ランダムに「神」を体験する本である
それこそディック的トランスに導かれること間違いない
何故「神」を必要とする人類が作られたのか
「神」こそが観察者を必要としたのかもしれない

ディックが気づきながらも否定する「神」の不在
絶対的「無」とは「無」と言う状態の存在も許さない
存在は相対的にしか価値を持ちえない
「有」ということは観察の結果だ
じゃあ、観察者を誰かが観察するのか
今「有」ということを完全に証明することはできない
この中途半間な「有」と言う状態は
「無」という存在をほどよく否定する
宇宙は「無」でないが故に「無」なのだ
「神」の不在を否定することにはならない
と同時に「神」はまた証明されないものになる

禅問答にもならないか
「聖なる侵入」「ティモシー・アーチャーの転生」に至らないので
うわごとで誤魔化しているに過ぎないのだ・・

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