「情報」の本流に新鮮な驚きを感じた頃・・青春だったのか?!
SF Masterworks版 2001年発行
「神」へのアプローチが自然を科学するということと同質だったころ
天文学も数学も物理学(錬金術?)も「神」に接近するためのものだった
しかし、それらが逆に「神」を死に追いやる観察と証明、そして推論によって
「神」を現実世界から追放することになった
「神」は信ずるもので「証」を求めるものではない
というのは科学万能時代の詭弁で(というより日本人的な感覚なのか)
人々は実在しない「神」など求めておらず
何よりもその「証」によって信仰が証明されなければ
信じることをしたくてもその対象が失われてしまう
新たな神学体系を企て
ついには「神」は情報であると
究極のプラグマティズム的な解釈を導入し
「神」を再定義しようとするかのごときディックの試みは
「神」を語ることへの共感ではなく
人と個人の抗いがたい存在の不安
自明性を喪失し自己が解体される恐怖
この無限の不安に抗するには最も優れた理性か狂気によるしかない
そのことへ収斂していくように思える
「ヴァリス」を初めて「体験」した時の
その溢れ出てくる情報の奔流に心地よく飲み込まれ
新鮮な驚きを覚えたことが粟立つように蘇って来た
アミューズメントパークの良くできたアトラクションに喜ぶように
現実を模した虚構をそのまま体験として受け入れるフレッシュさが
わが身に有った頃
それは言いようによっては青春であったのだろうか
いま読み返してみれば
少しディックを見る位置が離れた
ずぶずぶに浸りきったままではなくて
本流を俯瞰する少し高台に立っているということに気づく
ちょっと寂しいのか・・いやディックへのより深いアプローチのための
土台が少しはできてきたと思いたい
この本を読んですぐに
以下の2冊の本を手に入れて
ディックの遠い影に近づきたいと思ったものだ
「ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端」 1982年発行 白水叢書〈61〉
エレーヌ・ペイゲルス 著 荒井 献・湯本 和子翻訳
「グノーシスと古代宇宙論」勁草書房 柴田 有・著 1982年発行
しかし、いずれの本から得る知識も
「ヴァリス」の理解を深めるために役に立つものではなく
「ヴァリス」とディックとファットの情報のすべては
その中にしかないことが分かった
ディックはこれまでの科学からどれほど知識を得
世界解釈の体系を既存の言葉で語ろうとしたとしても
結局ディックはオリジナルである
SF Masterworks版 2001年発行
「神」へのアプローチが自然を科学するということと同質だったころ
天文学も数学も物理学(錬金術?)も「神」に接近するためのものだった
しかし、それらが逆に「神」を死に追いやる観察と証明、そして推論によって
「神」を現実世界から追放することになった
「神」は信ずるもので「証」を求めるものではない
というのは科学万能時代の詭弁で(というより日本人的な感覚なのか)
人々は実在しない「神」など求めておらず
何よりもその「証」によって信仰が証明されなければ
信じることをしたくてもその対象が失われてしまう
新たな神学体系を企て
ついには「神」は情報であると
究極のプラグマティズム的な解釈を導入し
「神」を再定義しようとするかのごときディックの試みは
「神」を語ることへの共感ではなく
人と個人の抗いがたい存在の不安
自明性を喪失し自己が解体される恐怖
この無限の不安に抗するには最も優れた理性か狂気によるしかない
そのことへ収斂していくように思える
「ヴァリス」を初めて「体験」した時の
その溢れ出てくる情報の奔流に心地よく飲み込まれ
新鮮な驚きを覚えたことが粟立つように蘇って来た
アミューズメントパークの良くできたアトラクションに喜ぶように
現実を模した虚構をそのまま体験として受け入れるフレッシュさが
わが身に有った頃
それは言いようによっては青春であったのだろうか
いま読み返してみれば
少しディックを見る位置が離れた
ずぶずぶに浸りきったままではなくて
本流を俯瞰する少し高台に立っているということに気づく
ちょっと寂しいのか・・いやディックへのより深いアプローチのための
土台が少しはできてきたと思いたい
この本を読んですぐに
以下の2冊の本を手に入れて
ディックの遠い影に近づきたいと思ったものだ
「ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端」 1982年発行 白水叢書〈61〉
エレーヌ・ペイゲルス 著 荒井 献・湯本 和子翻訳
「グノーシスと古代宇宙論」勁草書房 柴田 有・著 1982年発行
しかし、いずれの本から得る知識も
「ヴァリス」の理解を深めるために役に立つものではなく
「ヴァリス」とディックとファットの情報のすべては
その中にしかないことが分かった
ディックはこれまでの科学からどれほど知識を得
世界解釈の体系を既存の言葉で語ろうとしたとしても
結局ディックはオリジナルである
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