丸谷才一を読んで小説の何たるかを知る・・は少し大げさ
「たった一人の反乱」 丸谷才一著 講談社 1972年発行
出向を拒否して通産省をとび出し民間会社に就職した馬淵英介は若いモデルと再婚する。殺人の刑期を終えた妻の祖母が同居し始めたことから、新家庭はとめどなく奇妙な方向へ傾き、ついに周囲の登場人物がそれぞれ勝手な「反乱」を企てるに到る。―現代的な都会の風俗を背景に、市民社会と個人の関係を知的ユーモアたっぷりに描いた現代の名作。谷崎潤一郎賞受賞。
とBOOKデータベースに有ります
そういう話だったのだな
読んだのは40年も前?!とは驚きの話
「エホバの顔を避けて」「年の残り」「横しぐれ」とこの本ぐらいしか読んでいない
中で、この「たった一人の反乱」は、意味不明の「純文学」というジャンル
の意味を教えてくれた「体験」だった
このころはその「純文学」を読まねばならないと思い
丸山健二、柴田翔、遠藤周作、三木卓などなど読んでいた
芥川賞作家が書けば「純文学か?」とそう思いもしたが
「純文学」にも金メッキ、金無垢、いぶし銀といろいろの輝きがあり
その中で大江健三郎と安部公房(なんといってもSF全集ですから)、倉橋由美子とか
別格のように受け止めていた
丸谷才一はと言えば「玄人」という印象
「純文学」への先入観は、「普通小説」での評価に憧れた
ディックとの邂逅であっさりと払しょくされた
芥川賞も結局は話題性だし、何より選者に信頼をおけるのか?
40年前に遡れば世界名作文学とその時々の話題の小説を読んでいればよかった
本離れと言うけれど、今の方が本のバラエティ、ジャンルにも富んでいて
書店でどれを読もうか迷うのが楽しい
「純文学」という言葉が懐かしく響く今日この頃である
「文学体験」という「文学」を「体験」するヴァーチャルリアリティ、でもそれ以上に心を抉られるわけではなく、良い職人の仕事を堪能し満足を得る、そういう作品
「たった一人の反乱」 丸谷才一著 講談社 1972年発行
出向を拒否して通産省をとび出し民間会社に就職した馬淵英介は若いモデルと再婚する。殺人の刑期を終えた妻の祖母が同居し始めたことから、新家庭はとめどなく奇妙な方向へ傾き、ついに周囲の登場人物がそれぞれ勝手な「反乱」を企てるに到る。―現代的な都会の風俗を背景に、市民社会と個人の関係を知的ユーモアたっぷりに描いた現代の名作。谷崎潤一郎賞受賞。
とBOOKデータベースに有ります
そういう話だったのだな
読んだのは40年も前?!とは驚きの話
「エホバの顔を避けて」「年の残り」「横しぐれ」とこの本ぐらいしか読んでいない
中で、この「たった一人の反乱」は、意味不明の「純文学」というジャンル
の意味を教えてくれた「体験」だった
このころはその「純文学」を読まねばならないと思い
丸山健二、柴田翔、遠藤周作、三木卓などなど読んでいた
芥川賞作家が書けば「純文学か?」とそう思いもしたが
「純文学」にも金メッキ、金無垢、いぶし銀といろいろの輝きがあり
その中で大江健三郎と安部公房(なんといってもSF全集ですから)、倉橋由美子とか
別格のように受け止めていた
丸谷才一はと言えば「玄人」という印象
「純文学」への先入観は、「普通小説」での評価に憧れた
ディックとの邂逅であっさりと払しょくされた
芥川賞も結局は話題性だし、何より選者に信頼をおけるのか?
40年前に遡れば世界名作文学とその時々の話題の小説を読んでいればよかった
本離れと言うけれど、今の方が本のバラエティ、ジャンルにも富んでいて
書店でどれを読もうか迷うのが楽しい
「純文学」という言葉が懐かしく響く今日この頃である
「文学体験」という「文学」を「体験」するヴァーチャルリアリティ、でもそれ以上に心を抉られるわけではなく、良い職人の仕事を堪能し満足を得る、そういう作品
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