スパークプラグも届いたけれど、バイクの周りはまだ雪だらけなので、今からさらに雪を掻いてプラグ交換まではとってもやりきれないので、今日はここまでである。
気温は一転暖かいんですがね。
明日も暖かいみたいだから、明日はバイクを掘り起こして、原付下駄車はエンジン掛けてしばらく放置でバッテリー充電とキャブの調子整え、でかい方はプラグの確認でガソリン被りだけだったらちょっと焼いて様子見か。不動車その1を再びいじるのは、でかいのが完調になってからである。
スパークプラグも届いたけれど、バイクの周りはまだ雪だらけなので、今からさらに雪を掻いてプラグ交換まではとってもやりきれないので、今日はここまでである。
気温は一転暖かいんですがね。
明日も暖かいみたいだから、明日はバイクを掘り起こして、原付下駄車はエンジン掛けてしばらく放置でバッテリー充電とキャブの調子整え、でかい方はプラグの確認でガソリン被りだけだったらちょっと焼いて様子見か。不動車その1を再びいじるのは、でかいのが完調になってからである。
先日、バイクのリアブレーキの使用について書いたけど、それでひとつ思い出した?思いついた?のである。
多分なんだけれど、バイクも小型から免許を取った人だとあまりリアブレーキを使わない?という気がするんだけど。
大型免許を持っている人でも、原付から順次成り上がりで大型まで到達した人だと、似た傾向な気がする。
前輪ブレーキが強力だし、後輪ブレーキは効いている感じあまりしないしすぐ滑るしで、リアブレーキをあまり使わない人が多い気がするのである。
けれどリアブレーキの方が滑ってもまだ安全だし、効きが甘い分、操作が大雑把でもなんとかなるしで、滑ったらほぼ即コケるフロントブレーキより便利。フロントがグリップしててフルブレーキ状態でリアが滑ると確かにコケるんだけど。
教習所だとリアブレーキばかり掛けると怒られるけれど、教習所でやっていることで考えると、正直急制動以外でリアで済まないレベルの制動力を求められることは無いと思う。
単に習慣づけとしてフロントも使って止める場面でフロントを使わないと怒られるって感じだろうか。
あとは停車中にギアを切り替える(ニュートラルからローへとか)際は、リアブレーキペダルを踏めないからフロントブレーキは必要だし、乗車・降車の際もフロントブレーキが必要だけど、走っているところから制動で必要な制動力って考えると、教習所レベルだと急制動以外はリアだけで済ませることは可能ではあるだろう。
閑話休題。
路面が滑りやすい場合に滑っても比較的大丈夫なのは前輪じゃなくて後輪だと。
とするとリアブレーキの大事になるのだが、最初の話に戻ると、小型バイクの質量が軽いバイクに乗り慣れた人ほど、フロントブレーキに依存してて、話をしてると「リアは全然効かないから、ほとんど使わないよ」みたいなことを言う。
ブレーキングの際にリアを主体に制御するみたいな話しをしていると、全然理解しないというか、効かないブレーキの大事を言う阿呆の話(と判断して)なんざ考えるコストを掛ける価値も無いので真剣に聞いて考えるなんてことはしないで、鼻で笑い飛ばしてお終いである。
実際のところ姿勢(重心)制御でリアブレーキは重要だってのは、教習所でも教えるのだけれど、世間での扱いは上のごとしである。
今だったら6軸の姿勢計測で前後ブレーキを一体制御できるから、これに ABS も付ければ、かなりの転倒事故が減るのではなかろうか?
バイクの制動で ABS が作動すると制動距離がかなり伸びるってのは、多分前後ブレーキの割合配分等の不整合や重心制御の不適切が余計に露呈しているって気がしなくもない。
ようするに適切な重心制御がなされているような前後ブレーキ配分で ABS が働いた場合は、四輪自動車程度の制動距離の伸びの割合で済むのでは?ということ。
機械学習とかで ABS が効く寸前の制御とかできるようになれば、いよいよ人間様のやることは急ブレーキを指示するだけになる。
閑話休題。
また話が脇に逸れてしまったが、結構「オレは乗れているぜ」ってバイク乗りの人もリアブレーキは有効利用していない気がするって話です。
雪掻きが嫌で逃避中の投稿は、これにてお終い。
皆もすなるオリンピックの話といふものを、わたしもしてみむとてするなり。
FISの陰謀論まで出てますが、FISが下手を打ったのは否定できないのである。
だって、みんな注目の新競技のはずで、ジャンプ競技人口の増大に向けての看板だったはずの競技で
検査の基準の曖昧性
という脇の甘さを見せつけてしまったわけで。
基準は明快だって説を唱えるにしても、その基準で計測方法が規定されておらず、計測方法の違いで計測結果に違いが生じるなら、基準が曖昧と言っても良いと思われる。
計測方法・計り方で計測値が大きく変わるなら、その計り方込みの基準にしないと基準として機能していないと言わざるえないと思うのである。
結果の透明性にも欠けるし、作業の属人性も排除できないし、要するに検査官ごとの胸三寸で違う結果になるんじゃあ誰も喜ばないし、結果に誰かの都合に好ましい結果であると説明できるような偏りがあると、当然のごとく陰謀論が囁かれることになるのである。
そういう隙を見せてしまったのが、FISが下手を打ったということなのである。残念ですから?
ま、ステンマルクの頃からあった現象なのに、未だに直らないんだから、致し方なしで、競技者はよろしく付き合わざるえないので、まさしく残念ですから?
っていうか永遠の改善題材なんだと。