やっと読んだ。
こんなに長い(冗長!)小説を読むのは高校生以来? ちなみに世界文学全集を読むのも。
もう半世紀も前になるが、当時は文学全集がステータスだった。読んでも読まなくても応接間には文学全集と百科事典が飾られていた。まだインターネットのない時代。
私は受験勉強を終えた午前2時頃から、布団の中で読みかけの小説を開くのが唯一の楽しみだった。
『武器よさらば』『怒りの葡萄』『ジェイン・エア』『風と共に去りぬ』…
『白鯨』はなぜ読まなかったのだろう。
多分出だしでつまずいた?
引用に次ぐ引用が数ページにも及ぶ。
今なら苦もなく読み飛ばすけれど、「読んだ」ことをステータスにしていた当時は、それも出来ないクソ真面目な学生だった。
なので、読み始めは懐かしかった。
高校生に戻って読書している気がした。
読みにくい本を背伸びして読む感覚。
が、だんだん疲れてきた。
他に本を置かない背水の陣で臨んだので、逃げ場もない。
ひたすら読み、あまりにも脱線する箇所は斜め読み。
興味の中心は、〈ナンタケット島のエセックス号遭難と漂流〉がどう描かれているかだ。
なのに、捕鯨船がナンタケットを出港しても、一向に遭難しない。
漂流がメインではないのか。
ノンフィクション『復讐の海』が元になり、映画『白鯨との闘い』でもメルヴィルが登場して最後の生き残りの乗組員から漂流のおぞましい話を聞き取る様が描かれている。
語った男はメルヴィルに聞くのだ、全て小説にするのか、と。
メルヴィルは多分、事実をその通りに書くのが小説ではないというような答えをしたと思う。
なので確かめてみたかった、どんな風に作品化したのかと。
結論は、長かったがこれも時代。(150年前の小説)白鯨を神に、船長らを人間に見たて、最後に人智の及ばぬ領域を示した。
人間のなんとちっぽけなことか。
見事なフィクションだった。
但し世に認められるのに半世紀を要したというからゴッホ並みか。
とにかく長いのは、数年に及ぶ捕鯨船の航海を体感するため、という。
話は本編とは関係ない方向へ逸脱につぐ逸脱(これも捕鯨船体験か)。
白鯨(モビー・ディック)に片脚を噛みちぎられた老エイハブ船長は、果たしてカタキを取ることが出来るのか、という興味は最後の最後まで引き延ばされる。
ちなみに一等航海士はスターバックといい、スターバックス(創始者が3人いたので複数形)の由来であるという。
スターバックもエイハブも、今はいない益荒雄だ。
読了後の解放感も高校生以来。
たまにはこんな読書もいいかもしれない。