Linの気まぐれトーク

映画と小説の観賞日記

本当はほっとしている?

2022-11-15 21:38:00 | 読書
11月10日は読書会でした。
テーマ本は向田邦子さんの『だらだら坂』
(『思い出トランプ』所収)

小さな会社の社長の庄司は、事務員の面接で落とした女を密かに囲い、通っていた。
女の目はあかぎれのように細く、泣くとドブのようにビシャビシャと涙が溢れる。
鈍重で表情にも乏しい北海道出身の二十歳。
男とは親子ほども歳が違う。
男は「鼠」とあだ名されるほど小柄、妻子はいるが、コツコツとしてきた努力が家族の目には映らない。
心は離れ、落ち着けるのは目下の愛人を訪れるときだけだと思う。
〈女を囲う〉男の花道を実践できたようで、自分が誇らしい。
そんな関係が崩れるのは、初めての海外出張で10日ほど家を空けた時だった。
予定を繰り上げ、1日早く帰った男は、愛人を驚かそうと黙って家を訪れる。
そこで、整形手術をした女に遭遇するのだ。
あの、あかぎれのような目が好きだったのに、女は相談もなく二重瞼にしてしまっていた。
自信をつけていく女とは裏腹に、男は自信をなくしていく。
最後に男は思う。
「悔しいと思う気持ち半分、ほっとしたという気持ち半分」と。

これが作品のテーマなのだとか。
娘のような若い女を我がものにするのは〈男の勲章〉だ。
けれど疲れる。
終わってみれば、ほっとする。

わかるような気もするのです。
男に限らず、艶な話はエネルギッシュ。
歳をとると辛くなるのは事実。
やっぱり、終わればほっとするのではないですか。


車に乗らないのは

2022-11-14 13:36:00 | 日記
さっきの日記にも書きましたが、基本的に旅は、自転車と電車と徒歩。
車を使わないのは免許を持っていないからですが、30歳の時に一応、取得はしました。かかった費用は実家に借り、バイトをして返しました。だから夫のお金は使っていません。
誰でも初めは怖いものだと思うのですが、
私に怖がることは許されず、結局、夫の運転に頼ることに。
夫が「免許を取らせたが、ものにならなかった」と言った時は、流石にキレました。
私に免許を取れなんて一度も言わなかったじゃないか、お金だってなかったし。
でも、
思えば車を私と共用したくなかったのでしょう。
こちらも基本的に車は好きではなかったので、まあよかったのです。

だから夫はともかく、車を断ると誤解されることもままあり。
姉の車に乗らないのは、(車に乗れない)母のように頼りたくないからなんですが、姉は〈自分の運転が下手だから〉乗ってもらえないと思っていたようでした。
この誤解、どうやって解いたらいいんでしょう。

難しいなあ。
結局、姉の家の近所まで乗せてもらい、そこからJRで。
家まで送るという申し出は有り難いのですが、それに頼りたくないから頑張っているんです。

痩せ我慢なんですかね。


ザ・浜名湖

2022-11-14 13:15:00 | 日記
それは2022年11月11日のこと。
先に書きましたが、近所といっても自転車で小一時間かかる駅に向かいます。
到着は午前8時。
一番近い駐輪場に空きがありました。
早い時間に家を出るのはこのためなんです。

そこからJRで豊橋まで、さらに浜松行きに乗り換え、弁天島下車。
早い話、父の命日。
奥浜名湖の墓参りに行くのですが、姉に一泊しようと誘われ、その流れに。
ホテルの予約も、旅割の申請も、全て姉任せ。途中で手は出しにくいので。
夜はフレンチのコース料理を予約済みだと言います。
個人的には居酒屋を探して好きな料理を楽しみたいところですが、ここは従います。フレンチか〜
流石にジーンズというわけにもいかないし、かと言って荷物は増やしたくないし。
悩むところ。

話戻って、弁天島駅には午前10時すぎには到着。
そこからガーデンパーク目指して約1時間徒歩。







こんな道。
遠くの展望台が目指すガーデンパークです。
車がビュンビュン通るだけの殺風景な道でしたが、釣りをしていたおじさんが、ちょうど魚が釣れたところだったらしく、獲物を見せてくれました。
「糸を垂らしたらすぐかかるって言われたけど、ほんとやった」と。
でも、〈釣り禁止〉の自転車道だったんですけどね。
人通りもまばらな平日だったから、まあ許されるのでしょう。

浜名湖沿いの橋道路が終わると、いよいよガーデンパーク、のはずですが、入り口までさらに700メートル。
歩くには遠い距離、お腹も空くし、暑いし、疲れたし。
やっと入り口に辿り着いても、駐車場を抜けて、歩いて、やっと食事処についた時は、もうお昼でした。
カレーと浜松餃子。



ガーデンパークは無料だし、歩くには格好の場所。ゆっくり時間を潰すにはもってこいの場所のはず。





もう秋の気配。
遠足の子どもたちがはしゃいでいます。
でも奥までいくのは禁止されているのでしょう。
彼らがいるのは、遊具付近のみ。

更に私は展望台へ。
晴れて7月から70歳、高齢者チケット200円なり。



こんな感じ。
この上から見た国際庭園(中国)を前から見るとこんな感じ。



一番端の美術館まで行って、さあ戻りましょう。



静かな花木園でしばし読書。
でも落ち着かないのです。
慣れない場所で人がいないのは怖い。
早々に引き上げたら、方向感覚を失い迷子です。





同じところを何度も巡り、やっと出口へ辿り着き、ホテルまでまた1時間、目の前に見えているのに水(浜名湖)に阻まれ遠回りがもどかしい。
車に轢かれそうになりながら、やっとチェックイン。
自分で予約できたら絶対にこんな場所は選びませんでした。やはり人頼みはダメですね。



快適な部屋をそれぞれ一つずつ。
おかげで快適なホテルライフ。

翌日は墓参りし、車、電車を乗り継いで、さっきの日記に続く、です。
自転車に乗るとほっとします。
これは性(さが)ですね。




「助けて」と言われて

2022-11-14 12:12:00 | 日記
ある日、近所の駅の駐輪場に自転車を停め一泊。
青空駐輪だったけれど、幸いお天気にも恵まれ、ピックアップしようとしたときのこと。
そこは後払いの自動精算機があり、お金を入れるとロックが解除される仕組みです。

実は私も2度目の利用(それも半年おき)なので、少しドキドキ。日を跨いだのは初めてです。

ところが精算機に先客がいます。
少し離れて後ろに並ぼうとすると、
「すみません、教えて下さい」と言われます。
こちらも解説を読みながら
「場所番号を入れて、
領収書ありを押して、
精算ボタンを押せばいいはず」

でも、何度繰り返しても機械はコインを受け付けない。
じゃあ札ならばと、千円札を入れてもダメ。
「もしかして機械が壊れているかもしれないから、私が先に試してもいい?」と提案。
すると70×2で140円の精算、うまくいきました。
ロックが解除されている間に自転車を出さねばと慌てると、先客の彼がこちらを見て、
「助けてください」と言うのです。
私が逃げると思ったのでしょうか。

場所の番号が間違っていないか、彼の駐輪場所に行ってみました。
間違っていません。
でも、彼が自転車をいじると、ロックはかかっておらず、簡単に自転車は動きました。
それで精算機は反応しなかったのです。

彼は自転車に乗れて喜びましたが、「お金、どうすればいいですか」と困惑顔。
「ロックされていなかったから、お金はいりませんよ」
と言うと、嬉しそうにニコッ。

歳をとると人との接点もなくなり、孤独な日々を過ごしがちですが、思いがけなく人と接して感謝?されました。
いきさつはどうあれ、
やっぱり外に出なくちゃ、と思ったことです。

高齢者の前途

2022-11-08 14:38:00 | 読書
古市憲寿さんの著作を手に入るだけ(地元の図書館にある分)、まとめて読んでみました。
小説は読みやすいので、『ヒノマル』『平成くん、さようなら』『アスク・ミー・ホワイ』はスラスラと読めたのですが、評論書は苦労、苦労(汗)



東大大学院に在籍しながら、企業を立ち上げた様子を書いているようですが、実感として掴めず。
ひと頃のヒルズ族とかホリエモンはニュースにもなり、マスコミも政財界も冷ややかに反応。でも、私は密かに応援していたのです。
年寄りたちの思考回路に風穴を開けてほしい気持ちは、若者や女性など、社会に関われずに来た人たちにとっては、切実だった。

でも、古市憲寿氏はヒルズ族より若いんです。(1985年生まれ)



『ヒノマル』の理論的根拠を探して、この本も読んでみたけれど、社会学者の理論書というより、世界の戦争博物館を巡っての紀行文的色彩が濃い?
でも、
戦争や、人が死ぬことは〈非日常〉として人を惹きつける、それを〈面白い〉と表現したことには、彼の勇気を感じました。
なかなか言えないことです、面白いとは。

以前、図書館に勤務していた頃、戦中派の老人と戦争について話していて、私の〈面白い〉という表現を聞き咎め、「僕は面白いなんてとても言えない」と言われたことがありました。
もちろん、ファニーではなく、インタレスティングの意味で使ったのですが、戦争に関しては言葉を選ばなくではいけない、と痛感したものです。

だから、身内ではない人々も読む書籍で「戦争は面白い」と書くことには覚悟が必要だったに違いない。
その辺りをヒラリと飛び越えてしまうのは、やっぱり若さなのでしょうね。
戦中派の親に育てられた我々との決定的な違いです。
それに爽快さを感じつつ、最後に読んだのはこれ。



対談集。
國分功一郎氏は『暇と退屈の倫理学』が面白かった記憶があります。
『ファイトクラブ』なんて、映画まで見たし。
國分氏は1974年生まれで、長男と同い年。
何とか理解できるギリギリの若さか。
読んでいても國分氏と古市さんの温度差がわかるし、私が古市さんを理解できないのも無理はないと再び思うのです。
それでもというか、やっぱりというか、
一番興味深かったのは、「リタイア組の自分探し」。

仕事と子育てで自分と向き合わないまま、高齢になってしまったという人は、意外に多いようです。
自分探しとは自分に対する周囲の評価を変えたいということ、
だから人は自分探しで旅に出たがる、と見事に核心を突いた発言。(國分さんが内田樹氏の引用で)

本当に大切なのは自分を知ること、何が好きで、何を楽しいと思うか、どんなクセを持っていて、自分の体で何が出来るか、
そういうことを詰めていくことは大事、と結論していたのです。(ざっくり言うと)

でも彼らはそれを宇宙人を語るように言っている。
そう、私は〈自分を外側から見ている〉感じ。
その視点がほしくて、敢えて若い世代の本を読んだのかもしれないから、いいのだけど。
でも、正直疲れた。

フィクションと違い、隠れ蓑がないだけ、きついのです。
古市さんの本は、これでピリオド。また年相応の本に戻れるのは正直嬉しいです。