祖父母の法事があった。
お盆には、母も、父も、祖父母も、家に戻っていたんだろうか。
アタシは、受験生と野球少年に振り回され、気がつくと実家にも行かずお墓参りにも行かず…夏休みもあとわずかだ。
また、あの時のことを思い出す。
「進さん、貴方を残して先に旅立った芳子を許してください。」
進とは、アタシの父で、芳子とはアタシの母だ。
この手紙は、母が亡くなって一週間目に父宛に届いたもので、祖母からのものだった。心にガツンときた。
祖母が責任を感じ、父に謝るようなことではない。
誰かに責任はあるのだとしたら、それは、30年も一緒に暮らした父や、傍にいながら母の病気に早く気がついてあげれなかったあたし達娘のせいかもしれない。
だって、母の妹のおばさんは言った…
「なんでもっと早く気がつき適切な対処しなかったの?救えたかもしれないのに…たった一人の、ねーちゃんなのに…」
アタシもね、仕事も辞めて家事をやったり病院つめたりしたんだよ…
でも、あの頃のアタシは、自分のことでいっぱいいっぱいで、本当に母を失うなんてわかってなかったんだ。
責任感の強い姉は、仕事と看病の両立で苦しんでた。
そして、母を失い、何年か経った。
母方の実家は山形の田舎ではあったが、祖父は地元の名主で、祖母は黙ってひたすら仕える働き者の女だった。
孫のアタシから見ると、おじいちゃんはとっても偉い人で誰も彼に逆らえず、妻とは子を産み旦那様に仕える存在で…なんとなく理不尽に映った。
そんな2人も年老いて、最期の時を迎えようとしていた。
アタシは亡き母の代わりに看病しようと決意、しばらく山形で暮らすことにした。
祖母がこの頃、「長生きしたっていいことはないよ…子供を先に亡くす悲しみを味わったんだから。」と本音をつぶやいた。あの気丈な手紙をどんな想いで書いたのか、少し理解した。
「おばあちゃん、傍にいながらあなたの娘を助けられなくてごめん…」言葉にできず、心の中で詫びた。
祖母は、最後まで祖父の心配をして先には逝けないといい、無理を言って同じ病院の同じ部屋で闘病していた。
が、とうとう別れのときが来た。祖父がアタシに2人のベットを近づけてくれと言った。
そして、今まで妻に優しい言葉などかけた事のない彼が「トミ、ありがとう。」と、泣いた。みんな、泣いた。
彼女は報われた。
誰かのためにひたすら尽くし生きることの尊さを感じた。
実はアタシも、おじいちゃんから最後に言われた言葉がある。
宝塚で活躍中のいとこがお見舞いに来た時のことだ。田舎の駅に降り立った彼女は、ものすごく浮いていた。
髪は金髪、最新のお化粧をバッチリ決め、華やかなワンピースにお帽子をかぶって現れた。内心、お見舞いに来る格好じゃないと思った。
駅に迎えにいって病院へ。
従姉妹の中で出世頭だし「おじいちゃん、ゆうこちゃん着てくれて良かったね!こんなにキレイになって、ビックリだね!」と話しかけた。
ゆうこちゃんも、自信に溢れ輝いている。
おじいちゃんにとっても、自慢の孫だと思っていた。
しかし、彼は一言「あきこのほうがキレイだよ。」
この時は、まわりの空気が止まった。デブで不細工なアタシが、キレイ?
おじいちゃん、アナタにとってキレイの基準が外見じゃないんだよね。
あの時は、びびったけど、今ならわかる。
いつまでも、アナタ好みのキレイな女でいます。
祖母が逝き、後を追うように祖父も1年後に逝った。
アタシは、この2人の孫で産まれたことを感謝している。
そして、2人の旅立ちの時に立ち会えたことは、母が仕組んだことだったのかも…と思う。
人は死ぬ。でも、残されたものの中でずっと生きている。
彼らのお墓参りにはなかなか行けないけど、アタシは墓石クリーニングの女。
誰かの想いを受け止めながら、これからも洗い続けたい。
あきねぇ職場 たけしょうHP↓ 施工例沢山みれます。
http://www.takesho-com.jp/
お盆には、母も、父も、祖父母も、家に戻っていたんだろうか。
アタシは、受験生と野球少年に振り回され、気がつくと実家にも行かずお墓参りにも行かず…夏休みもあとわずかだ。
また、あの時のことを思い出す。
「進さん、貴方を残して先に旅立った芳子を許してください。」
進とは、アタシの父で、芳子とはアタシの母だ。
この手紙は、母が亡くなって一週間目に父宛に届いたもので、祖母からのものだった。心にガツンときた。
祖母が責任を感じ、父に謝るようなことではない。
誰かに責任はあるのだとしたら、それは、30年も一緒に暮らした父や、傍にいながら母の病気に早く気がついてあげれなかったあたし達娘のせいかもしれない。
だって、母の妹のおばさんは言った…
「なんでもっと早く気がつき適切な対処しなかったの?救えたかもしれないのに…たった一人の、ねーちゃんなのに…」
アタシもね、仕事も辞めて家事をやったり病院つめたりしたんだよ…
でも、あの頃のアタシは、自分のことでいっぱいいっぱいで、本当に母を失うなんてわかってなかったんだ。
責任感の強い姉は、仕事と看病の両立で苦しんでた。
そして、母を失い、何年か経った。
母方の実家は山形の田舎ではあったが、祖父は地元の名主で、祖母は黙ってひたすら仕える働き者の女だった。
孫のアタシから見ると、おじいちゃんはとっても偉い人で誰も彼に逆らえず、妻とは子を産み旦那様に仕える存在で…なんとなく理不尽に映った。
そんな2人も年老いて、最期の時を迎えようとしていた。
アタシは亡き母の代わりに看病しようと決意、しばらく山形で暮らすことにした。
祖母がこの頃、「長生きしたっていいことはないよ…子供を先に亡くす悲しみを味わったんだから。」と本音をつぶやいた。あの気丈な手紙をどんな想いで書いたのか、少し理解した。
「おばあちゃん、傍にいながらあなたの娘を助けられなくてごめん…」言葉にできず、心の中で詫びた。
祖母は、最後まで祖父の心配をして先には逝けないといい、無理を言って同じ病院の同じ部屋で闘病していた。
が、とうとう別れのときが来た。祖父がアタシに2人のベットを近づけてくれと言った。
そして、今まで妻に優しい言葉などかけた事のない彼が「トミ、ありがとう。」と、泣いた。みんな、泣いた。
彼女は報われた。
誰かのためにひたすら尽くし生きることの尊さを感じた。
実はアタシも、おじいちゃんから最後に言われた言葉がある。
宝塚で活躍中のいとこがお見舞いに来た時のことだ。田舎の駅に降り立った彼女は、ものすごく浮いていた。
髪は金髪、最新のお化粧をバッチリ決め、華やかなワンピースにお帽子をかぶって現れた。内心、お見舞いに来る格好じゃないと思った。
駅に迎えにいって病院へ。
従姉妹の中で出世頭だし「おじいちゃん、ゆうこちゃん着てくれて良かったね!こんなにキレイになって、ビックリだね!」と話しかけた。
ゆうこちゃんも、自信に溢れ輝いている。
おじいちゃんにとっても、自慢の孫だと思っていた。
しかし、彼は一言「あきこのほうがキレイだよ。」
この時は、まわりの空気が止まった。デブで不細工なアタシが、キレイ?
おじいちゃん、アナタにとってキレイの基準が外見じゃないんだよね。
あの時は、びびったけど、今ならわかる。
いつまでも、アナタ好みのキレイな女でいます。
祖母が逝き、後を追うように祖父も1年後に逝った。
アタシは、この2人の孫で産まれたことを感謝している。
そして、2人の旅立ちの時に立ち会えたことは、母が仕組んだことだったのかも…と思う。
人は死ぬ。でも、残されたものの中でずっと生きている。
彼らのお墓参りにはなかなか行けないけど、アタシは墓石クリーニングの女。
誰かの想いを受け止めながら、これからも洗い続けたい。
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あきねぇさん、暑いけど墓石を洗い続けてください。きっと天国で、ご先祖様が喜んでくれると、私は信じています。
はっや~!
ありがとう。
そう、運命なんだよ。
つーか、アタシが言い出した仕事なんだ。実は。
だから、暑くても頑張らなきゃダメなのさ。
人の不思議なトコだよ。