墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

次男へ贈る言葉

2008年11月16日 | 息子たち
キミの名前をつける時、竹のように真っ直ぐ、馬のように一生懸命突っ走る、志の高い子に…と願ってつけた。
この漢字の意味よりも、書いたときに気に入ったのだ。


キミは、ホントに名前負けしない頑張りやに育ってくれた。
東京に転校した時、自分で近隣の野球チームの情報を集め、自らここが最強と思ったチームの入部を決めてきた。わずか2年生の春のことだ。

遊びたい年齢なのに、毎週毎週野球ばかり。家族で出かけることもなくなった。
アタシも兄も弟も、週末はグランドで過ごす…キミの希望通りになった。

瞬発力のある子ではないし、天性の能力も高くない。
でも、負けん気とプライドは高かった。真面目で、なにより野球が好きだった。

キミがバッターボックス立つ度に、「天のかあさまマリア様、お釈迦様、神様、誰でもいいから彼にチャンスを!」とわけわからないことを念じるようになった。

アタシがもっと運動神経のいい天才に産んであげていたら、こんな苦労しなくて済んだのに…と常々思うよ。
でも今更無理だし、せめて、アタシの残り少ない運を全部3人で使っちまっても構わないとも思ってる。

キミのひたむきな瞳が大好きだ。ファインプレーの後の笑顔が見たいんだ。母の望みはただそれだけなんだよ…

4年の時の若ドラ戦では兄貴の仇をうつ!と言って挑み、ちゃんと結果を出してくれた。あの試合が、なんといっても忘れられない試合だ。敢闘賞をいただいた。

こんな感動を与えてくれる子供達に感謝していた。

5年からスランプに入った。試合に出れないこともしばしば。一緒に苦しみの中にいた。救ってあげれない自分の無力さにアタマにきていた。
アタシの目を見ない。学校の成績も落ち、心の中で葛藤があり、「僕なんか…」発言が担任さえ不安にさせた。

自分に自信をもてなくなったキミに、エイトを辞めたら?と言ったこともある。
でも、「ここで野球すると決めた以上、最後までここで続ける。僕は、弱いチームでレギュラーをとるより、エイトでレギュラーを取り返したいんだ。頼むから、辞めたらなんて言わないで。」

その日から、ひたすらキミを応援すると誓った。

そして、卒部を目前にまた、キミは復活した。センターで、自分が打球を止めなきゃ!捕らなきゃ!と思う気持ちが伝わってくる。バッターとしてはまだまだだけど、最近の塁に出たら帰って来るぞ!という無謀ともいえる走塁は、チームに良い影響を与えてるのではないか。

アタシは、我が子ながら尊敬するよ。そのひたむきさは、キミの財産だ。

久しぶりにホームランを打ったキミに「スゴいね!やったね!」と声をかけた。帰ってきた言葉は「化粧濃いよ…」の一言だった。






卒部式に配る記念誌の「母からの贈る言葉」から。




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