いつも当ぶろぐを訪問してくださるみなさま、ありがとうございます
中身は周瑜さまへの愛のみ、実生活には、全く、一切、何の役にも立たない内容だけが延々テンコ盛り・・・、という、
業界屈指の(どこの業界?笑)ごくツブしブログ にもかかわらず、
広い心で愛あるコメントをくださいまして、真に感謝しております・・・!
コメントというのは栄養ですね~・・・。
すんごい嬉しいです! それに、とても刺激になります!
他の人に周瑜さまを語ってもらえると、わくわくします。人それぞれの視点というのがあって
自分じゃ気付かなかったり、見えなかったりしたことを、教えてくれます。
(特に私の場合、周瑜さまを愛しすぎるあまり(笑)思考が硬直しがちなので・・・)
というわけで今回、ティ―エヌさんから「素敵~」なコメントをいただきまして・・・
いや、コメントというか、もう、小論文じゃないかと
コメ欄だけに置いとくのはもったいないと思ったので、紹介させていただきます
←別に意味はないんですけど(笑)す・て・き
(以下コメントより)
なぜ羅貫中が「演義」の中であれほど周瑜をおとしめて描いたか?
…それほどスゴかったんですよ、周瑜公瑾ってお人は!
レックリの原作では、周瑜と孔明は“天才相通ず”どこか似た者として描かれます。
それどころか孔明は1歩も2歩も引いて振る舞っているようです。
単に主役が周瑜だからそう描いているのではなく、
その当時、例え敵国とはいえ周瑜は歴戦の勇者、大都督であり、
一方孔明はまだ世に出たばかり、駆け出しのルーキー。
若い孔明が優れた先輩に敬意を持っていたとしても何ら不思議ではありません。
私はこちらの方が真実だったような気がします。
数百年前、羅貫中は頭を悩ませたのでしょう…これでは困ると。
蜀の活躍を描くのに、呉に立派な人物がいては面白くないと。
で、誠に“罪なこと”をしたものです。
しかし映画によって、時代(とき)を経て手あかにまみれてしまった“呉の宝剣”は本来の姿に蘇ることができたのだと思います。
呉(!)監督いわく…周瑜をわるく描いてはいけません。
「レッドクリフ」について、三国志ファンは“色眼鏡”で観るのでイロイロ言うようですが、私は出色な出来だと感じています。
特に脚本!周瑜のファーストシーン
・・・孔明の軽口に振り向く曇りのない眼、どこからか流れてくる笛の音・・・
さりげなく聴き入る彼に共鳴するように、雄々しく騒然とした場が静まります。
少年の横笛を手にし、揺れる音色を良くしてあげる‥その鎧の男が『大都督』。
映画の主旋律が流れ、映し出される幽玄なる山河、そして彼は“涼しげな扇の男”を認めます‥
後に続く牛泥棒のエピソードといい、周瑜の人間性や才覚を余すところなく感じさせて見事です
(部下を許した後魯粛に言いますね、「食料問題ゆえ、残りの倉をもう一つ‥」とかって)!
呉宇森監督はどこからこんなインスピレーションを得たのか!?
それも役者がトニーさんに変わった時点で書き直したといいます‥。
私は三国志の研究者でも熱心なファンでもオタクでもありません。
が、あの映画には何か“真実”があるように感じます。漫画っぽくもありますが・・・(笑)。
時にどんな専門家でもみえないものが、芸術家には観えたりするのだと…。
呉宇森監督を導く『声』があったのではないでしょうか
『呉』さん、だからご先祖様か何かが“かの国”に深く関わっていたのかも知れませんね。
もしかしたら逆、…逆だったのではないでしょうか、一般の通念と。
いわゆる周瑜を語る時、孔明の存在は欠かせないというもの。
これが本当は真逆だとしたら? …“諸葛亮の人生は周瑜ぬきには語れない”。
面白いもので、万華鏡は角度をちょっと変えただけで実相が全く違って観えます…。
日本では演義ベースの三国志が人気があるので、孔明(蜀)サイドの観方が浸透しています。
で、周瑜と云うと“孔明に対抗したもう一人の天才軍師”ってイメージですか?
それこそ“神様の目”でみれれば真実も解るのでしょうが…。
私はレッドクリフで目覚めたので、堂々、周瑜ら呉の側からみて気付いたことを書きます。
実は、諸葛亮の人生は周瑜ぬきには語れない‥それほど周瑜は孔明に影響を与えた人ではなかったか?
2人には共通点が多いですね。君主を支え、智略に優れ、音楽で心を語る鋭敏な感性(‥映画の創作もありますが)‥まさに天才相通ず。
ただ、2人の立場はといえば、周瑜がその名も知れた大都督なのに対し、孔明はまだ世に出たばかり。
才はあれど何も成しておらず、赤壁に活躍の場を求めていたのかも知れません。
そうしてみると、全く逆・・・演義とは!
育ちのいい御曹司で、名実共に『ドカッ』とした周瑜が、『駆け出しのルーキー』に嫉妬するなんてあろうはずがない!
…むしろ、孫策と世に出たばかりのかつての自分を見る思いだったのかも‥。
周瑜は劉備以外で初めて、誰よりも孔明を認めた人だったように思います。
一方、若い孔明はいつ敵になるかわからないそんな先輩に対し、腹の底では対抗心を持ちながらも、
憧れや尊敬の念のを禁じ得なかったのではないでしょうか。
映画のような活躍は実際にはなかったにしろ、赤壁の戦いは、孔明の人生においては正に“初陣”、
いっぽう周瑜にとっては国の存亡をかけた人生の“集大成”
‥礎を築いた亡き孫堅や孫策の思いも背負って、全生命力を燃焼させたことでしょう。
ただ、周瑜は間もなくして燃え尽き、孔明は頭角を表し、その後歴史に名を刻んでいきます。
それから数百年の時が経ち、14世紀後半、羅貫中は孔明の活躍を描くのに“両雄並び立たず”とし
『呉の宝剣』は錆だらけにされ霧の奥に隠されてしまいました…。
でも、レッドクリフによって気付かされることがあります。
孔明の一生は、誰かを彷彿させると…。劉備亡き後、例え器でなくともその子・劉禅(阿斗)に仕え“王佐の男”として忠義を尽くします。
また、優れた政治家として国の安寧に尽力する一方、劉備が果たせなかった夢のために戦い続けるも、志半ばにして陣中にて病没ー―
映画のラストで周瑜は孔明に言います、「‥国を育てることだ」と。
こんな会話が2人の間にあったかどうかわかりませんが、五丈原で最期を迎える時、孔明は懐しく思い出していたかも知れません…
若かりし日、まだ世に出たばかりの赤壁の頃を、そこで出合った人のことを‥。
(以上コメント:一部改訂してあります)
ティ―エヌさんは、「そんなに三国志に思い入れはなかったが、レッドクリフで周瑜に興味を持たれた」のだそうです。
が・・・・。とてもそうとは思えません!(笑)
孔明と周瑜、という無理矢理ライバル関係におかれていた二人 について、
実に愛ある考察をなさってます。
わたしも、孔明については「もっと誠実で謙虚を知る人じゃなかったか」とは思ってたんですけど
なにしろ私と来たら
孔明 と聞くともう 条件反射的 に 目つきが変わる そして我を忘れる という 病気 が・・・
そのせいで、レッドクリフの孔明についても
いわゆる 色眼鏡 を外し切れてなかったんですね~・・・。
もちろん「金城孔明」は素敵だと思いますよ~!歴代孔明の中で一番「素敵な孔明」だし
一番「これが(当時の年齢・経験等を想像しても)妥当な孔明像なんじゃないか?」と思える孔明です。
でも 孔明 なんですよね・・・(笑)どうしても、構えてしまう、というか・・・
孔明は三国志一の天才…とか聞いた途端 身体が勝手にファイティングポーズを!!
…いや、孔明に対して、というより「孔明を最高」と言う孔明ファンへの敵対心なのかも・・長年コケにされ続けたせいか、強烈な疑心暗鬼 で・・・(笑)
ですので、ティ―エヌさんの意見に思わず ほろっ と・・・。
若い孔明は、周瑜に敬意を持っていたのでは?という一文に、物凄く慰められました・・・。
そうか、そういうこともあるよね、と。
三国志にのめり込んで長いファンだと、そういう見方はできないんじゃないか・・・って思うんですよね。
(レックリ以前からの)孔明ファンはまずそういう考え方は無いと思うし
(ワタシのような長い)周瑜ファンでも、その視点はちょっと・・・少なくとも私にはなかったですね。
「レッドクリフ」から入ったからこそ、の視点なんでしょうか。
変な先入観が無い、というのはこういうことなのね・・・と思います。
いやぁ、実に癒されるコメントです!ありがとうございました!ティ―エヌさん!
そして、「レッドクリフから三国志に入って、周瑜にハマりました」という言葉もすごくよく見るようになりました。
もともと周瑜さまはかわいそうな人だった、とかいう先入観のない周瑜ファンが増えつつあるってことですよね!
周瑜さまの本来あるべき姿 で、周瑜さまを知る人が増える・・・
なんて素敵なんでしょう!
夢のようです・・・
周瑜さま、よかったなぁ・・・
ホントに良かった
そうそう!大事なこと!!
周瑜さまがトニーさんでよかった・・・!
ティ―エヌさんは「ウー監督に『声』があったのかも」と書かれてますが
トニーさんにも『周瑜の声』があったんじゃないかな~…って思いませんか?
初めは、孔明役でオファーされていたのに、体調が思わしくなく「レッドクリフ」から降板。
さらに、肝心の周瑜役のチョウ・ユンファまでいきなり降板・・・
メインキャストがそろったのに、 主役の 周瑜だけが決まってない という、ありえなさっぷり!(笑)主役ですよ! 主役!
どーよ?!それ!(笑)
そして、何かに導かれるように「なんかできることない?監督?」とコールするトニーさん。
「んじゃ周瑜やってくれる?」と監督。
そしてそして・・・一度は赤壁を去った トニーさんは 周瑜 として赤壁に帰ってくることに・・・
これはもう、周瑜さま自身が「トニー・レオン」を自分の形代に選んだ、のだとしか思えません・・・
実際、トニーさんの周瑜さまは本当に素晴らしかった・・・!
(周瑜さま自身が選んだんじゃないか?と空想するとさらにレッドクリフに愛が深まりますネ!)
あああ~!また見たい!!も一回見に行きたい!!(いや、昨日行ったんだけど。笑)
…このようにワタクシ、皆様からのコメントでさらにさらに周瑜さまへの愛を深め、
また新たに確認させていただいておる次第なのでございます。
なにとぞお見捨てにならず、また愛のコメントもどしどし頂けたら幸いでございます
まったくもって暑苦しい私ですが、今後ともよろしくお願いいたします
さあ!君も、君も、そこの君も!周瑜さまについて、三国志について、そして愛について、語ろうじゃないか!!
いつもポチッとありがとうございます
中身は周瑜さまへの愛のみ、実生活には、全く、一切、何の役にも立たない内容だけが延々テンコ盛り・・・、という、
業界屈指の(どこの業界?笑)ごくツブしブログ にもかかわらず、
広い心で愛あるコメントをくださいまして、真に感謝しております・・・!
コメントというのは栄養ですね~・・・。
すんごい嬉しいです! それに、とても刺激になります!
他の人に周瑜さまを語ってもらえると、わくわくします。人それぞれの視点というのがあって
自分じゃ気付かなかったり、見えなかったりしたことを、教えてくれます。
(特に私の場合、周瑜さまを愛しすぎるあまり(笑)思考が硬直しがちなので・・・)
というわけで今回、ティ―エヌさんから「素敵~」なコメントをいただきまして・・・
いや、コメントというか、もう、小論文じゃないかと
コメ欄だけに置いとくのはもったいないと思ったので、紹介させていただきます
←別に意味はないんですけど(笑)す・て・き
(以下コメントより)
なぜ羅貫中が「演義」の中であれほど周瑜をおとしめて描いたか?
…それほどスゴかったんですよ、周瑜公瑾ってお人は!
レックリの原作では、周瑜と孔明は“天才相通ず”どこか似た者として描かれます。
それどころか孔明は1歩も2歩も引いて振る舞っているようです。
単に主役が周瑜だからそう描いているのではなく、
その当時、例え敵国とはいえ周瑜は歴戦の勇者、大都督であり、
一方孔明はまだ世に出たばかり、駆け出しのルーキー。
若い孔明が優れた先輩に敬意を持っていたとしても何ら不思議ではありません。
私はこちらの方が真実だったような気がします。
数百年前、羅貫中は頭を悩ませたのでしょう…これでは困ると。
蜀の活躍を描くのに、呉に立派な人物がいては面白くないと。
で、誠に“罪なこと”をしたものです。
しかし映画によって、時代(とき)を経て手あかにまみれてしまった“呉の宝剣”は本来の姿に蘇ることができたのだと思います。
呉(!)監督いわく…周瑜をわるく描いてはいけません。
「レッドクリフ」について、三国志ファンは“色眼鏡”で観るのでイロイロ言うようですが、私は出色な出来だと感じています。
特に脚本!周瑜のファーストシーン
・・・孔明の軽口に振り向く曇りのない眼、どこからか流れてくる笛の音・・・
さりげなく聴き入る彼に共鳴するように、雄々しく騒然とした場が静まります。
少年の横笛を手にし、揺れる音色を良くしてあげる‥その鎧の男が『大都督』。
映画の主旋律が流れ、映し出される幽玄なる山河、そして彼は“涼しげな扇の男”を認めます‥
後に続く牛泥棒のエピソードといい、周瑜の人間性や才覚を余すところなく感じさせて見事です
(部下を許した後魯粛に言いますね、「食料問題ゆえ、残りの倉をもう一つ‥」とかって)!
呉宇森監督はどこからこんなインスピレーションを得たのか!?
それも役者がトニーさんに変わった時点で書き直したといいます‥。
私は三国志の研究者でも熱心なファンでもオタクでもありません。
が、あの映画には何か“真実”があるように感じます。漫画っぽくもありますが・・・(笑)。
時にどんな専門家でもみえないものが、芸術家には観えたりするのだと…。
呉宇森監督を導く『声』があったのではないでしょうか
『呉』さん、だからご先祖様か何かが“かの国”に深く関わっていたのかも知れませんね。
もしかしたら逆、…逆だったのではないでしょうか、一般の通念と。
いわゆる周瑜を語る時、孔明の存在は欠かせないというもの。
これが本当は真逆だとしたら? …“諸葛亮の人生は周瑜ぬきには語れない”。
面白いもので、万華鏡は角度をちょっと変えただけで実相が全く違って観えます…。
日本では演義ベースの三国志が人気があるので、孔明(蜀)サイドの観方が浸透しています。
で、周瑜と云うと“孔明に対抗したもう一人の天才軍師”ってイメージですか?
それこそ“神様の目”でみれれば真実も解るのでしょうが…。
私はレッドクリフで目覚めたので、堂々、周瑜ら呉の側からみて気付いたことを書きます。
実は、諸葛亮の人生は周瑜ぬきには語れない‥それほど周瑜は孔明に影響を与えた人ではなかったか?
2人には共通点が多いですね。君主を支え、智略に優れ、音楽で心を語る鋭敏な感性(‥映画の創作もありますが)‥まさに天才相通ず。
ただ、2人の立場はといえば、周瑜がその名も知れた大都督なのに対し、孔明はまだ世に出たばかり。
才はあれど何も成しておらず、赤壁に活躍の場を求めていたのかも知れません。
そうしてみると、全く逆・・・演義とは!
育ちのいい御曹司で、名実共に『ドカッ』とした周瑜が、『駆け出しのルーキー』に嫉妬するなんてあろうはずがない!
…むしろ、孫策と世に出たばかりのかつての自分を見る思いだったのかも‥。
周瑜は劉備以外で初めて、誰よりも孔明を認めた人だったように思います。
一方、若い孔明はいつ敵になるかわからないそんな先輩に対し、腹の底では対抗心を持ちながらも、
憧れや尊敬の念のを禁じ得なかったのではないでしょうか。
映画のような活躍は実際にはなかったにしろ、赤壁の戦いは、孔明の人生においては正に“初陣”、
いっぽう周瑜にとっては国の存亡をかけた人生の“集大成”
‥礎を築いた亡き孫堅や孫策の思いも背負って、全生命力を燃焼させたことでしょう。
ただ、周瑜は間もなくして燃え尽き、孔明は頭角を表し、その後歴史に名を刻んでいきます。
それから数百年の時が経ち、14世紀後半、羅貫中は孔明の活躍を描くのに“両雄並び立たず”とし
『呉の宝剣』は錆だらけにされ霧の奥に隠されてしまいました…。
でも、レッドクリフによって気付かされることがあります。
孔明の一生は、誰かを彷彿させると…。劉備亡き後、例え器でなくともその子・劉禅(阿斗)に仕え“王佐の男”として忠義を尽くします。
また、優れた政治家として国の安寧に尽力する一方、劉備が果たせなかった夢のために戦い続けるも、志半ばにして陣中にて病没ー―
映画のラストで周瑜は孔明に言います、「‥国を育てることだ」と。
こんな会話が2人の間にあったかどうかわかりませんが、五丈原で最期を迎える時、孔明は懐しく思い出していたかも知れません…
若かりし日、まだ世に出たばかりの赤壁の頃を、そこで出合った人のことを‥。
(以上コメント:一部改訂してあります)
ティ―エヌさんは、「そんなに三国志に思い入れはなかったが、レッドクリフで周瑜に興味を持たれた」のだそうです。
が・・・・。とてもそうとは思えません!(笑)
孔明と周瑜、という無理矢理ライバル関係におかれていた二人 について、
実に愛ある考察をなさってます。
わたしも、孔明については「もっと誠実で謙虚を知る人じゃなかったか」とは思ってたんですけど
なにしろ私と来たら
孔明 と聞くともう 条件反射的 に 目つきが変わる そして我を忘れる という 病気 が・・・
そのせいで、レッドクリフの孔明についても
いわゆる 色眼鏡 を外し切れてなかったんですね~・・・。
もちろん「金城孔明」は素敵だと思いますよ~!歴代孔明の中で一番「素敵な孔明」だし
一番「これが(当時の年齢・経験等を想像しても)妥当な孔明像なんじゃないか?」と思える孔明です。
でも 孔明 なんですよね・・・(笑)どうしても、構えてしまう、というか・・・
孔明は三国志一の天才…とか聞いた途端 身体が勝手にファイティングポーズを!!
…いや、孔明に対して、というより「孔明を最高」と言う孔明ファンへの敵対心なのかも・・長年コケにされ続けたせいか、強烈な疑心暗鬼 で・・・(笑)
ですので、ティ―エヌさんの意見に思わず ほろっ と・・・。
若い孔明は、周瑜に敬意を持っていたのでは?という一文に、物凄く慰められました・・・。
そうか、そういうこともあるよね、と。
三国志にのめり込んで長いファンだと、そういう見方はできないんじゃないか・・・って思うんですよね。
(レックリ以前からの)孔明ファンはまずそういう考え方は無いと思うし
(ワタシのような長い)周瑜ファンでも、その視点はちょっと・・・少なくとも私にはなかったですね。
「レッドクリフ」から入ったからこそ、の視点なんでしょうか。
変な先入観が無い、というのはこういうことなのね・・・と思います。
いやぁ、実に癒されるコメントです!ありがとうございました!ティ―エヌさん!
そして、「レッドクリフから三国志に入って、周瑜にハマりました」という言葉もすごくよく見るようになりました。
もともと周瑜さまはかわいそうな人だった、とかいう先入観のない周瑜ファンが増えつつあるってことですよね!
周瑜さまの本来あるべき姿 で、周瑜さまを知る人が増える・・・
なんて素敵なんでしょう!
夢のようです・・・
周瑜さま、よかったなぁ・・・
ホントに良かった
そうそう!大事なこと!!
周瑜さまがトニーさんでよかった・・・!
ティ―エヌさんは「ウー監督に『声』があったのかも」と書かれてますが
トニーさんにも『周瑜の声』があったんじゃないかな~…って思いませんか?
初めは、孔明役でオファーされていたのに、体調が思わしくなく「レッドクリフ」から降板。
さらに、肝心の周瑜役のチョウ・ユンファまでいきなり降板・・・
メインキャストがそろったのに、 主役の 周瑜だけが決まってない という、ありえなさっぷり!(笑)主役ですよ! 主役!
どーよ?!それ!(笑)
そして、何かに導かれるように「なんかできることない?監督?」とコールするトニーさん。
「んじゃ周瑜やってくれる?」と監督。
そしてそして・・・一度は赤壁を去った トニーさんは 周瑜 として赤壁に帰ってくることに・・・
これはもう、周瑜さま自身が「トニー・レオン」を自分の形代に選んだ、のだとしか思えません・・・
実際、トニーさんの周瑜さまは本当に素晴らしかった・・・!
(周瑜さま自身が選んだんじゃないか?と空想するとさらにレッドクリフに愛が深まりますネ!)
あああ~!また見たい!!も一回見に行きたい!!(いや、昨日行ったんだけど。笑)
…このようにワタクシ、皆様からのコメントでさらにさらに周瑜さまへの愛を深め、
また新たに確認させていただいておる次第なのでございます。
なにとぞお見捨てにならず、また愛のコメントもどしどし頂けたら幸いでございます
まったくもって暑苦しい私ですが、今後ともよろしくお願いいたします
さあ!君も、君も、そこの君も!周瑜さまについて、三国志について、そして愛について、語ろうじゃないか!!
いつもポチッとありがとうございます
携帯で、つゆだく様のブログ名「今度生まれ変わったらあなたの楽士Aになりたい」を検索します→ヒットしたら「携帯サイト」ではなく「PCサイト」から入ります→どの記事であれ、最新記事や記事一覧というのがページ内に載っていると思うので、そこからお目当ての記事を探してみて下さい。
映像によってはボヤーンとして見られなかったりするかも…ですが、結構見やすくなります。携帯会社や機種にも左右されるかもしれません。上手くいかなかったらすみません!
さて、ティーエヌ様の論考、私がレッドクリフから感じたいろいろなことを、実に適切に言葉にまとめていらっしゃる!と感じ入りました。
私も三国志はレッドクリフデビューで、いわゆる「本当の三国志はこうじゃなくてー!」みたいな意見もなく、映画は純粋にめいっぱい楽しみました。
つゆだく様が長年にわたって「三国志演義」の描写にどれほど心を痛めてこられたか…も、つゆだく様の文章からただただ心中お察しします、と言うほかないくらいの素人ではあります。
「レッドクリフ」は、時代の要請なのかもしれません。世間一般に知られる「三国志演義」ベースの三国志像というものを、いったん考え直してみるための。
あの「忠臣蔵」だって、実際は吉良上野介は良いお殿様だったのに、浅野内匠頭がキレて、自業自得で切腹、職を失った赤穂浪士が逆恨み的に吉良を襲った…ということだったらしいですよね。 でも後に庶民感情に迎合した「敗者の美学」的な物語に作り替えられ、今に至ります。
三国志演義も、忠臣蔵も、史実がどうであったかより、いかに庶民受けがいいか? を優先させている点で、どこか似ています。これらは庶民が士族の下に置かれていた封建制度の時代にこそ、求められた筋立てだったのでしょう。
しかし現代は、多少の格差はあれど、法のもとに平等な、自己責任の時代、なのであります。
であれば、三国志においても、小喬や尚香は戦に泣くか弱い女ではいかんのです! 自らも戦い、その上で戦いの何たるかを身を持って知るのです。
ただ出しゃばるのではなく、男たちが直面している問題に自分なりに向き合う、“国”に関わる者の責任として。
もちろん周さまも、孔明も、つゆだく様やティーエヌ様が言及される人物に“復元”されなくてはならなかったのです。
嫉妬して足を引っ張ったりとか、余裕かまして嫌味を言うとか、そんな自己満足な人物像ではなく、真のリーダーシップとは、信頼とは何かを体現する者として、スクリーン上に描かれる必要があったのだと思います。
(もちろん、正史から真実の姿がうかがえるのですが)
「演義」という幻想にひたらずとも、今の私たちは自力で考え行動し、情報をつかむ力があり、それぞれの三国志を語ることが出来るのではないでしょうか?
いつもより真面目なコメントになりました(笑) 何も知らん三国志ビギナーにここまで語らせるんだから、ウー監督レッドクリフ、恐るべし、です。
少なくとも頭の柔らかい若い世代の三国志ファンは、レッドクリフの周さまを素直に受け入れると思います。
本当に素晴らしく深い考察で、ハッとさせられました。
私にはこのような考え方、思いもつきませんでしたよ。
あの、私は元々西洋史の出身なのですが、国や年代に限らず色々な視点があって、知る度に色んな発見がありますね。
私も何でも好きになると極めるまでトコトン突っ走りたい!と思うあまり、知らず知らず自分の中で常識というものをつくってしまい、気がつくとそこから抜け出せなくなっている自分がいるんです。
視野が狭くなりがちな分、とても新鮮でした。
やっと周瑜さまが正当に評価されてきたこと、私もとても嬉しく思います(まあ私の場合は好きになってからまだ2年ぐらいなので、私みたいなのがどーこー言うのはちょっとおこがましいかもしれませんが…)
やっぱり好きな人物ともなるとその人の全てが知りたい!と思うんですよね。
と同時に孔明ファンも当然、素顔の孔明が知りたいと思うんじゃないでしょうか?
だからそういう人には神様みたいに祈祷して風を呼ぶ孔明じゃなくて、史実の人間としての孔明を知ったうえで、ファンになってほしいと私は思います。
そういう意味ではやっぱり「演義」は失礼なんじゃないかな~なんて思ったりもして…
なんか、こういうコメントを読むと私もなぜか熱~くなってしまい、ついつい長文に…すみません。
周瑜さまファンの人、増えるといいですよね!
あ、それと私、かなり妄想が激しく、よく壊れますが、相手にして頂けるとウハウハになります(笑)
また来たいので、ぜひよろしくしてやって下さい。
アツいお返事(おいおい)書いていたら、収拾がつかないほどに話が拡がってしまい、
この際なので本記事にお返事載せちゃうことにしました(笑)
今、まとめ中ですので・・・
お返事遅くてごめんなさい!