続きました。
しかもさぁ・・・
「志を失って、安逸をむさぼる・・・」って。
別に安逸じゃなかっただろうと。
孫堅が死んで、孫策が立って、揚州をバリバリ切り取りながら、バトルに次ぐバトル・・・。
戦大好きの二代目のおかげで座布団が温まる暇もなく。
かと思ったら、破竹の二代目が暗殺されて、三代目孫権時代の始まり・・・。
騒がしくなる呉郡の豪族たちににらみを利かせながら、かつ、頻繁にちょっかい出してくる山越族などの少数民族の征伐。
その合間をぬって 孫家の仇敵・黄祖討伐。(が、逃げられる。)
やっと去年、「第二回黄祖討伐・サブタイトル/今度こそ逃がさん!!何が何でもクビを獲れ!!」において
悲願の仇討を達成・・・・・!孫堅の横死から数えて、エート、13年?14年?にしての悲願達成!
(長い間つけ狙われ続けた黄祖もむしろほっとしたんではなかろうか。もしかしたらストレスでハゲたりしたかもしれない)
全然 安逸してないし・・・・・。むしろ大騒ぎ。
たかが十数年の間に、三代目までが誕生しなきゃならなかった孫呉の悲劇は、・・・安逸とは程遠い。
「安逸をむさぼる」暇なんかなかったっつーの! (監督、これは納得いきません。ワタシ)
魯粛は「こんなキャラじゃない!!」と突っ込んでくれる人がたくさんいるのにさー、
程普の事は 誰も突っ込んでくれないし・・・
誰か 「程普もホントはこんなんじゃないよ!」 と言ってあげて―! みたいな。
・・・残念ながら、突っ込んでくれる人はいませんでした・・・。(どこかにはいると思うけど、見つけられなかった。無念です、程公。)
実は一瞬、「程普は程普でも、同姓同名の別人なのかも・・・?」と思ったくらい、程普とは思えない程普でねー。
でもちゃんと「大都督、周瑜。副都督、程普!」に任命されてたもんね。やっぱあの程普は程普なんだよね。(ややこしい)
だけどさー、孫権が「都督を2人選んだ」(史実では左右都督となっている)のは、
総指揮権は周瑜に持たせたいけど、
孫家の譜代の臣で、生え抜きの名将である程普を差し置いて周瑜を頭に据えるのははばかられはしまいか?と、
そういう余計な心配もしなきゃならないクラスの、程普は重鎮だったから、なわけなんですよね。
君主ですら、遠慮をしちゃう名将なんです。程普は。
でも・・・
あの「レッドクリフの程普」じゃあ、なんでこの人が「副都督」なの? と思われても仕方がないよね・・・。
大体、黄蓋の方がずっと年齢もキャリアも上っぽい。 (苦笑)
(実際は、四天王の中では程普が一番年上です。)
ホントはだから・・・もう少し「シブいジジイ」であってほしかった(笑)
黄蓋も「シブいジジイ」だけど、なんか「いい人さ」がにじみ出てるじゃないですか。あ、黄蓋はいい味出ててよかったです。
そーでなくて、程普には
「戦場では鬼のごとき働きを見せるが、実は書を読むのが好きで、目下の者に優しく、自分には厳しいクールなジジイ」
的なキャラでお願いしたかった。
理想は エド・ハリス (西洋人じゃねーか!!おい。)
だって好きなんだもん(笑)クールでシブい~(見境ないなぁ、もう)
「ザ・ロック」の、将軍役そのままで「私の理想の程普」になれます(笑)いいなぁ・・・
そうそう!!
程公といえば忘れちゃいけないのが
「周瑜に意地悪」案件 (笑)
何が気に食わないんだか、周瑜さまに事あるごとに冷たく当たり、侮辱的な言葉もしばしばあった・・・とまで。
いい!! (は?)
スゴクいい!!
いじわるされる周瑜さまに萌え――――――!! (・・・おい)
どんな事言われても、周瑜さまは反論なんかせず、いつも、程普を立てて敬意を払い、へりくだった態度で接していたという。
す、すごい気になる!!(笑)
なんでそんなにいじわるしたの?!(笑)
程普って言う人は、決して「根がいじくそ悪い」人ではなく
皆から「程公」と呼ばれ親しまれた人らしいんだが、
それにしちゃあ、周瑜さまにだけ態度が違い過ぎる・・・。 なぜだ。
何があったんだ!程普!!(笑)
で、考えたんですけど。
程普の周瑜に対する感情は、いわゆる 嫁いびり だったのではないかと。
孫堅以来の宿将である程普にとっては、亡くなった殿の忘れ形見の孫策は、何にも勝る宝であったことでしょう。
殿より託されたのだ、自分たちが若(策)を守らねば!!という思いもあったと思う。
しかも程普は、孫策が袁術から独立を図ったときに
玉璽と引き換えにして貸して(返して?)もらった軍のなかにいたそうな。
孫策のもとに遣られると分かったときの程普の喜びはどんなものだっただろうか。
つまり程普は
孫策が旗揚げした瞬間から一緒にいた ってことだよねぇ。
周瑜も、その旗揚げを知ってすぐに駆け付けたけど、程普にしたら「あとから来た」「新参」だったんだろうね。
かつて孫堅の右にいた時のように、今度は孫策の右腕として手腕をふるう・・・つもりだったんじゃないか。
ところが!
いきなり現れた、周瑜とか言う若造 が、孫策のハートをわしづかみにしてしまった(は?)
二言目には「周瑜」「周瑜は」「周瑜も」「周瑜ぅ」「なぁ周瑜」「おい周瑜」「周瑜を呼べ」「周瑜」「周瑜」「周瑜」・・・・・・(あくまでも程普視点)
・・・・・・あいつ、なんかムカつく・・・ となるのもむべなるかな。
それはあたかも、大事に育ててきた息子を、どこの馬の骨ともわからぬ小娘に取られた…みたいな、
(いえ、周瑜は馬の骨どころか、揚州イチの名門の貴公子・プリンス・ビューティですが)
「姑」的なアレです。(笑)
クールな武人・程普【注・my妄想】でしたが、知らず知らず周瑜を 息子の嫁 的な視点で見ていたのではないか?
(一応断っておきますが、変な意味じゃなく、です。・・・って、変な意味ってどーゆー意味?と聞かれても困るんですけど。笑)
それじゃあ憎いのは当たり前だよね~~(笑)
不出来な嫁は気に食わないが、よくできた嫁は・・・もっと気に食わない のが「姑」という生き物(笑)
程普が周瑜に辛く当ったのもうなずけるというもの。
息子(策)が、嫁(瑜)にメロメロなとこも気に食わないし、
知識も武勇も必要以上に良く出来て気に食わないし、
容姿端麗な上に人当たりも良くて、なんだか皆から愛されてるのも気に食わないし、
親(←自分/程普)にも決して逆らわないとこが さらに気に食わない みたいな・・・(笑)
・・・そうなのね!
きっとそうに違いない!!
書いてるうちに確信と思えるようになってきた(笑)
なんだよ~、程普ったら!!
つまり ヤキモチ ってことなのね?
可愛いじゃん ますます好きになったかも!
この案件はつゆだくの楽しい妄想の、かなり上位を占めてるんですけども(笑)
(ちなみに一位は「噂を聞いて会いに行って、意気投合して引っ越させるって何事?」です。笑)
おひとつポチッとお願いします
しかもさぁ・・・
「志を失って、安逸をむさぼる・・・」って。
別に安逸じゃなかっただろうと。
孫堅が死んで、孫策が立って、揚州をバリバリ切り取りながら、バトルに次ぐバトル・・・。
戦大好きの二代目のおかげで座布団が温まる暇もなく。
かと思ったら、破竹の二代目が暗殺されて、三代目孫権時代の始まり・・・。
騒がしくなる呉郡の豪族たちににらみを利かせながら、かつ、頻繁にちょっかい出してくる山越族などの少数民族の征伐。
その合間をぬって 孫家の仇敵・黄祖討伐。(が、逃げられる。)
やっと去年、「第二回黄祖討伐・サブタイトル/今度こそ逃がさん!!何が何でもクビを獲れ!!」において
悲願の仇討を達成・・・・・!孫堅の横死から数えて、エート、13年?14年?にしての悲願達成!
(長い間つけ狙われ続けた黄祖もむしろほっとしたんではなかろうか。もしかしたらストレスでハゲたりしたかもしれない)
全然 安逸してないし・・・・・。むしろ大騒ぎ。
たかが十数年の間に、三代目までが誕生しなきゃならなかった孫呉の悲劇は、・・・安逸とは程遠い。
「安逸をむさぼる」暇なんかなかったっつーの! (監督、これは納得いきません。ワタシ)
魯粛は「こんなキャラじゃない!!」と突っ込んでくれる人がたくさんいるのにさー、
程普の事は 誰も突っ込んでくれないし・・・
誰か 「程普もホントはこんなんじゃないよ!」 と言ってあげて―! みたいな。
・・・残念ながら、突っ込んでくれる人はいませんでした・・・。(どこかにはいると思うけど、見つけられなかった。無念です、程公。)
実は一瞬、「程普は程普でも、同姓同名の別人なのかも・・・?」と思ったくらい、程普とは思えない程普でねー。
でもちゃんと「大都督、周瑜。副都督、程普!」に任命されてたもんね。やっぱあの程普は程普なんだよね。(ややこしい)
だけどさー、孫権が「都督を2人選んだ」(史実では左右都督となっている)のは、
総指揮権は周瑜に持たせたいけど、
孫家の譜代の臣で、生え抜きの名将である程普を差し置いて周瑜を頭に据えるのははばかられはしまいか?と、
そういう余計な心配もしなきゃならないクラスの、程普は重鎮だったから、なわけなんですよね。
君主ですら、遠慮をしちゃう名将なんです。程普は。
でも・・・
あの「レッドクリフの程普」じゃあ、なんでこの人が「副都督」なの? と思われても仕方がないよね・・・。
大体、黄蓋の方がずっと年齢もキャリアも上っぽい。 (苦笑)
(実際は、四天王の中では程普が一番年上です。)
ホントはだから・・・もう少し「シブいジジイ」であってほしかった(笑)
黄蓋も「シブいジジイ」だけど、なんか「いい人さ」がにじみ出てるじゃないですか。あ、黄蓋はいい味出ててよかったです。
そーでなくて、程普には
「戦場では鬼のごとき働きを見せるが、実は書を読むのが好きで、目下の者に優しく、自分には厳しいクールなジジイ」
的なキャラでお願いしたかった。
理想は エド・ハリス (西洋人じゃねーか!!おい。)
だって好きなんだもん(笑)クールでシブい~(見境ないなぁ、もう)
「ザ・ロック」の、将軍役そのままで「私の理想の程普」になれます(笑)いいなぁ・・・
そうそう!!
程公といえば忘れちゃいけないのが
「周瑜に意地悪」案件 (笑)
何が気に食わないんだか、周瑜さまに事あるごとに冷たく当たり、侮辱的な言葉もしばしばあった・・・とまで。
いい!! (は?)
スゴクいい!!
いじわるされる周瑜さまに萌え――――――!! (・・・おい)
どんな事言われても、周瑜さまは反論なんかせず、いつも、程普を立てて敬意を払い、へりくだった態度で接していたという。
す、すごい気になる!!(笑)
なんでそんなにいじわるしたの?!(笑)
程普って言う人は、決して「根がいじくそ悪い」人ではなく
皆から「程公」と呼ばれ親しまれた人らしいんだが、
それにしちゃあ、周瑜さまにだけ態度が違い過ぎる・・・。 なぜだ。
何があったんだ!程普!!(笑)
で、考えたんですけど。
程普の周瑜に対する感情は、いわゆる 嫁いびり だったのではないかと。
孫堅以来の宿将である程普にとっては、亡くなった殿の忘れ形見の孫策は、何にも勝る宝であったことでしょう。
殿より託されたのだ、自分たちが若(策)を守らねば!!という思いもあったと思う。
しかも程普は、孫策が袁術から独立を図ったときに
玉璽と引き換えにして貸して(返して?)もらった軍のなかにいたそうな。
孫策のもとに遣られると分かったときの程普の喜びはどんなものだっただろうか。
つまり程普は
孫策が旗揚げした瞬間から一緒にいた ってことだよねぇ。
周瑜も、その旗揚げを知ってすぐに駆け付けたけど、程普にしたら「あとから来た」「新参」だったんだろうね。
かつて孫堅の右にいた時のように、今度は孫策の右腕として手腕をふるう・・・つもりだったんじゃないか。
ところが!
いきなり現れた、周瑜とか言う若造 が、孫策のハートをわしづかみにしてしまった(は?)
二言目には「周瑜」「周瑜は」「周瑜も」「周瑜ぅ」「なぁ周瑜」「おい周瑜」「周瑜を呼べ」「周瑜」「周瑜」「周瑜」・・・・・・(あくまでも程普視点)
・・・・・・あいつ、なんかムカつく・・・ となるのもむべなるかな。
それはあたかも、大事に育ててきた息子を、どこの馬の骨ともわからぬ小娘に取られた…みたいな、
(いえ、周瑜は馬の骨どころか、揚州イチの名門の貴公子・プリンス・ビューティですが)
「姑」的なアレです。(笑)
クールな武人・程普【注・my妄想】でしたが、知らず知らず周瑜を 息子の嫁 的な視点で見ていたのではないか?
(一応断っておきますが、変な意味じゃなく、です。・・・って、変な意味ってどーゆー意味?と聞かれても困るんですけど。笑)
それじゃあ憎いのは当たり前だよね~~(笑)
不出来な嫁は気に食わないが、よくできた嫁は・・・もっと気に食わない のが「姑」という生き物(笑)
程普が周瑜に辛く当ったのもうなずけるというもの。
息子(策)が、嫁(瑜)にメロメロなとこも気に食わないし、
知識も武勇も必要以上に良く出来て気に食わないし、
容姿端麗な上に人当たりも良くて、なんだか皆から愛されてるのも気に食わないし、
親(←自分/程普)にも決して逆らわないとこが さらに気に食わない みたいな・・・(笑)
・・・そうなのね!
きっとそうに違いない!!
書いてるうちに確信と思えるようになってきた(笑)
なんだよ~、程普ったら!!
つまり ヤキモチ ってことなのね?
可愛いじゃん ますます好きになったかも!
この案件はつゆだくの楽しい妄想の、かなり上位を占めてるんですけども(笑)
(ちなみに一位は「噂を聞いて会いに行って、意気投合して引っ越させるって何事?」です。笑)
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周瑜と程普の関係も興味深いですよね。
●対孫堅
程普:年齢については知りませんでしたが、キャリアの面では、堅四天王(程普、祖茂、韓当、黄蓋)の中でもさらに一番の古参。
周瑜:孫堅と関係は君臣のものでは恐らくない。
程普○
●対孫策
程普:孫策軍に帰参、そして恐らく初めて会ったのは、袁術の下に身を寄せた時期。
周瑜:孫策軍への参加は、策が江東征伐に動いてからと程普より少し遅いが、子供の頃からの個人的友誼(断金、二橋)。策にとって最も信頼できる者。
周瑜○
●対孫権→?
こういう二人ですから、三代目の孫権時代に二人のパワーバランスって結構微妙になってきそうです。赤壁に臨んで、最高司令を二枚並べた時、程普は堅時代のこと(と来歴)を重視するでしょうし、周瑜は先代・策との関係を主張するのが道理だと思います。(結局、周瑜の寛容さで事なきを得ましたが)
権の奴めっ(;´Д`)
そう言えば孫権は、関羽征伐の折も最高司令を二枚(呂蒙、孫皎)並べて、呂蒙に赤壁の時を思い出せって諌められてますね。
権の奴めっ(;´Д`)
以前の、周瑜の戦略通り、「孫権(周瑜)と馬超が手を組んだら~」というコメント返しをいただきましたが、呉のIF話としては、曹操、袁紹対峙の隙を突いて、孫策の許昌急襲と並んでわくわくします!
赤壁から数年の内に南半分を手に入れ、馬超と手を結び、強襲して落とした襄陽を起点に多方面から同時侵攻する。実際問題、これくらいしないと圧倒的な北の曹操を制圧するのは難しいのでしょうね。
個人的には天下三分や二分の内で、関中(馬一族等)が勢力から漏れているのが、当時の中華観や中華の領域がわかるようで面白いと思います(´∀`人)
程普と周瑜は面白いですね~。
人徳者、部下からも慕われて・・・という風に評される彼がなぜ周瑜だけは?と考え始めると止まりません(笑)
それが、どうやったら「周郎との交わりは芳醇な酒を飲むようだ」とまでイッちゃうのか。
極端すぎてたまりません。
「周瑜最高」という意見が一致するからワタシは程普が好きなんでしょう。現金ですねぇ。
孫権が関羽征伐の時にも2トップ路線で行こうとした、というのは知りませんでした。
どっちかに決められない性格なんでしょうか・・・(笑)呂蒙にいさめられて、結局呂蒙で、ってことに決まったんでしょうか?
西凉は、あれは中華に属するんですかね?ってくらい変な位置にありますよね。
曹操としても取りにくいわ、管理しにくいわ、反乱なんか起こされたら面倒だったでしょうね?
巴蜀を領有下に置いた周瑜と馬超に手を組まれたら、相当ヤバいとこまで追い詰められたんでは・・・?下から横から突っつかれるわけですから
さぞかしうっとおしい事になったでしょうねぇ・・・(笑)
西凉、漢中、襄陽、合肥から一斉に!
うわ!すっごい楽しそう!!(笑)
「冗談ではない!!」とキレる曹操を見てみたかった~!(・・・こんな大変な状態になったら、荀も死んでる場合じゃないですね。笑)
そういう考え方があったんですねぇ!
私が読んだ本に少し周瑜嫌いな理由について書いてあったような・・・
その本によれば、周瑜が程普に名前を聞かれたとき、周瑜が
「私は伯符と昔から机を並べた仲の・・・」
的なことを言ってしまったため、主従関係にうるさい程普はそれきり周瑜を嫌いになったとかなんとか・・・。
それには、机を並べた仲というのが程普は気に入らなかったらしんですけど・・・。
ホントはそうでなくて、机を並べた仲にヤキモチをやいてしまったというのも全然ありえますね!
いわれてみれば。
だって、関羽様が孔明にヤキモチやいたのと同じですもんね!
なんか納得しましたよ!
程普は完全に「殿の御子息をおたすけするのはわしだ。不肖ながらこのわしが父代わりとなって」と思っていたはずです(←断言しちゃうんだ。笑)
舅じゃなくて姑になっちゃうところが程普クオリティかと。(おい)
その本は、私も読みましたよ~!「あの先に、孫策がまっているのだ」とかって、テンション上がりまくりの周瑜が可愛かったです(笑)
「周瑜の姿を見て、大粒の涙をこぼす」孫策にも、散々萌えさせていただきました。うふふ。