以前一度訪れたことがある昔の通信ケーブルが
露出している場所へ再び・・・・・
資料によると、東京中野から九州福岡までの通信ケーブルが昭和の
初期に敷設されたそうです。
そのルートにあたる町田市相原に中継所があり、次の大月中継所までの
ルートが草戸峠を越えて甲州街道へ延びていた・・・・
相模原市と町田市の境界にある町田市大地沢青少年」センター前の道路
に相原中継所からのケーブルは敷設されている・・・
この先山に向かっての道路下には説明の立札があり、鋼帯外装の
直埋ケーブルが地表に露出しているのが見られる。
市街地のケーブルは撤去されたようですが、山間部には残置されている~
更に進むと、草戸山と書かれた案内標識がありここを右折して、急な山道へと向かう。
右に折れる角には標柱があって、「東名 曲点」及び「電々マーク」が刻まれている・・・
人が通るのがやっとの急勾配の山道を上ると、狭いところに長方形の形をした
コンクリートのボックスのようなものが露出している。
多分、ケーブル接続点を収容して防護するボックスでしょう???
更に坂道を上ること30分位で、草戸峠にたどり着いた。
この付近には標柱やコンクリートボックスは見当たらない。
ケーブルは峠を逸れたところに埋設されているのでしょうか???
町田市と八王子市の境界である草戸峠から狭い急坂の山道を下って、
高尾の甲州街道方面に向かう~
下って行くとコンクリートボックスと標柱があった!!!
ケーブルは急勾配の山道に埋設されてあり、接続点防護の
コンクリートボックスは傾斜して設置されている・・・・
峠から15分くらい山道を下ると、平坦で車の通れる砂利道にでた・・・・
この道は高尾から三沢峠へ通じているようだ。
下って来た山道との交差点のところに数体のお地蔵さんがあり、
これが草戸峠への目印となっている・・・・
ケーブルはこの先砂利道に埋設されて甲州街道に向かっていると思われる・・・
時間もだいぶ過ぎたのでこの日はここで引き返すことにした~
この次はこの先をもうちょっと行って見ることにする。
露出している場所へ再び・・・・・
資料によると、東京中野から九州福岡までの通信ケーブルが昭和の
初期に敷設されたそうです。
そのルートにあたる町田市相原に中継所があり、次の大月中継所までの
ルートが草戸峠を越えて甲州街道へ延びていた・・・・
相模原市と町田市の境界にある町田市大地沢青少年」センター前の道路
に相原中継所からのケーブルは敷設されている・・・
この先山に向かっての道路下には説明の立札があり、鋼帯外装の
直埋ケーブルが地表に露出しているのが見られる。
市街地のケーブルは撤去されたようですが、山間部には残置されている~
更に進むと、草戸山と書かれた案内標識がありここを右折して、急な山道へと向かう。
右に折れる角には標柱があって、「東名 曲点」及び「電々マーク」が刻まれている・・・
人が通るのがやっとの急勾配の山道を上ると、狭いところに長方形の形をした
コンクリートのボックスのようなものが露出している。
多分、ケーブル接続点を収容して防護するボックスでしょう???
更に坂道を上ること30分位で、草戸峠にたどり着いた。
この付近には標柱やコンクリートボックスは見当たらない。
ケーブルは峠を逸れたところに埋設されているのでしょうか???
町田市と八王子市の境界である草戸峠から狭い急坂の山道を下って、
高尾の甲州街道方面に向かう~
下って行くとコンクリートボックスと標柱があった!!!
ケーブルは急勾配の山道に埋設されてあり、接続点防護の
コンクリートボックスは傾斜して設置されている・・・・
峠から15分くらい山道を下ると、平坦で車の通れる砂利道にでた・・・・
この道は高尾から三沢峠へ通じているようだ。
下って来た山道との交差点のところに数体のお地蔵さんがあり、
これが草戸峠への目印となっている・・・・
ケーブルはこの先砂利道に埋設されて甲州街道に向かっていると思われる・・・
時間もだいぶ過ぎたのでこの日はここで引き返すことにした~
この次はこの先をもうちょっと行って見ることにする。