ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

天皇皇后両陛下のフィリピン訪問

2016年01月30日 | Luzon島
26日~30日まで両陛下はフィリピンを
訪問され、29日はラグナ州カリラヤの
日本人戦没者慰霊碑に行かれて、
戦没者を慰霊されました。
フィリピンでは51万人を越える日本人が
命を落としました。
慰霊碑はフィリピン各地にたくさん
あります。それぞれ地元の人が管理
してくれているところもありますが、
多くは荒れ果てています。

両陛下は今日帰国となります・・・

(画像はマニラの報道より)



街の中は歓迎ムードです・・・・





街の大通りのロハス・ブルーバードもきれいになっています。







そしてロハス・ブルーバードから海岸沿いに
ある「ソフィテル・フィリピン・プラザ・ホテル」が
両陛下の宿泊先です。



市民も歓迎ムードです~~~



マニラのテレビ局の放送映像です・・・





以下はマニラの邦字新聞社「まにら新聞」記事の一部を転載します。

大統領府晩さん会で天皇、比の戦争被害に触れ「決して忘れてはならない」と言及

リサール公園でホセ・リサール像に献花される天皇・皇后両陛下=27日午後0時半ごろ、首都圏マニラ市で写す


 フィリピンを訪問している天皇、皇后両陛下は27日夜、首都圏マニラ市のマラカニアン宮殿で晩さん会に出席し、天皇陛下が約5分間、乾杯のあいさつをされた。この中で太平洋戦争の比における被害について触れ、「日本人が決して忘れてはならないこと」と強調された。

 天皇陛下は、「昨年、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。貴国の国内において、日米両国間のし烈な戦闘が行われ、比国の多くの人が命を失い、傷つきました」と話され、「このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、このたびの訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでおります」と今回の訪比に対する深い思いを語られた。

 また、比日の交流について、江戸時代の鎖国政策によって一時国交が断絶したが、19世紀半ばの鎖国終了で国交が復活したと両国間の歴史に触れられた。さらに19世紀のスペイン統治時代に独立運動を先導した比の英雄、ホセ・リサールについて、リサールが一時期日本に身を寄せていたエピソードを挙げて「リサールは比の国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました」と話された。

 続いて「比国は今、閣下(アキノ大統領)の英邁(えいまい)なご指導の下、アジアの重要な核をなす国として、堅実な発展を続けています」と比の経済発展を評価された。

 最後に「このたびの私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆をいっそう強めることに資することを強く願います」と比日の友好関係強化への希望を述べ締めくくられた。

 晩さん会は、貴賓席の中央に天皇陛下とアキノ大統領が並んで座り、陛下の右隣に大統領の姉、アウロラ・アキノさんが着席、大統領の左隣に皇后陛下が着席された。また、石川駐比日本大使のほか、在留邦人も出席した。

 晩さん会に先立ち、天皇、皇后両陛下は同日午前もマラカニアン宮殿を訪れ、アキノ大統領とお会いになった。天皇は大統領と約30分間、比日の経済や観光などについて会談されたが、この時は太平洋戦争については言及されなかった。

 外務省の高島肇久参与によると、会談では大統領が「比に日本の小売業や自動車企業が多く進出しており、比国民の日本車需用が急激に増加しています」と比の経済の現況を説明。天皇陛下は「両国の交流がますます盛んになっていることを喜ばしく思います」と話された。

 大統領はまた、交通インフラの近代化や改善が比の最重要の課題とも説明、比のインフラ整備事業における日本政府の協力に感謝の意を表明した。

 一方、天皇陛下は皇太子時代の1962年に比を訪れたときの思い出についても話された。天皇陛下は当時、タガイタイを訪れたが霧で火山湖が隠れていた思い出を話され、「食事の最後に霧が少し薄れわずかに見えたことを今でもよく覚えています」と語られたという。

 天皇、皇后両陛下は同日、首都圏マニラ市のリサール公園や、首都圏タギッグ市の英雄墓地も訪問され、花を手向けられた。


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