三世久鳳舎桐丸詠「狂歌碧葉集」1930年刊、今日は恋の部から一首、
寄芋戀
夜もすがらこがれて胸を焼芋のほつこりとして待つ身侘しも
「ほつこり」については二年以上前だけれども「ほっこりしない話」に書いた。簡単におさらいしておくと、江戸時代には物理的に加熱して暖かいという場合に「ほつこり」が使われて、特に湯気、蒸気が重要な要素であり、上方の蒸し芋売りは「ほつこりほつこり」と売り歩いた。温泉でほつこりという用例もあった。明治以降はあまり使われなくなって国語辞典からも姿を消したが、平成になってから誰が流行らせたのかわからないが再び使われるようになり、特に「心温まる」という意味での用例は平成に入ってからの特徴である。これとは別に、京ことばでは疲労感を表す「ほっこり」という言葉もあったようだ。
であるから現代ではこがれた胸をほっこりとは表現しない。また、古くは蒸し芋がほっこりであったはずだがここでは焼芋がほっこりになっている。芋売りの「ほつこり」あるいは「ほこほこ」は上方狂歌にも時々出てくる表現であった。「ほっこりしない話」に引用した狂歌をもう一度あげておこう。
琉球のいもにはあらぬ里いもの名月ゆへかほつこりとせぬ (華産)
さかほこかいやほこほこのさつまいも荷をさしおろしうる淡路町 (紫笛)
風あらく吹たつる夜は芋売のほこほこといふ声も寒けき (栗洞 )
それで知識として「焼芋のほつこり」と続けたのか、それとも桐丸の頃にはまだ「ほつこりほつこり」の芋売りの声が残っていたのだろうか。古い表現を引っ張り出したのか、それとも、ほっこりはまだ使われていたのか、書籍検索しても現代の心温まる用例ばかり出てきて、大正や昭和の「ほっこり」を探すのはむずかしい。ひとつ、「水都大阪の民俗誌」に、
薩摩芋売り「ほつこりほつこり、ぬくいのあがらんかいな、ヤアほつこりじやアほつこりじやア」
というのが出てくるのだけど、検索画面だけだといつ頃の話なのかわからない。
という訳で、「こがれた胸を焼芋のほつこりとして」は古い言葉を引っ張り出してこがれた胸とつなげたのか、それとも当時の人にはすんなり納得できる表現だったのか、そこがわからないとこの歌の評価は難しい。もし後者だとすると、京ことばの「ほっこり」と少し接点があるような気もする。とにかく桐丸の時代の用例を紙の本で探すしかないようだ。もし見つけた方がいらっしゃいましたら、コメントでご教示ください。