今回は、由縁斎貞柳詠「続家つと」(1731刊)、夏の部より一首。
瑞龍寺雪巣和尚へ暑気御見廻申ける折
ふし黄檗山より米粉まいりけるを相伴仕りて
切麦やうとんげよりも珍しきべいふんたりけ空にじゃくする
詞書と歌でページをまたぐので画像は二枚だが、私が持っているのは手書きの写本で、元の木版本には米粉(ヘイフン)、空(クウ)とルビがふってある。
(ブログ主蔵「(写本)続家土産」)
この米粉は切麦やうどんと比べていることから、今のビーフンのような麺であったと思われる。ビーフンの由来については正確に書いてあるものが見つからない。レシピのサイトなどによると、鎌倉時代に日本に伝わったが禅寺の精進料理などに限られ、1960年にケンミンが焼きビーフンを発売するまでは一部の人だけが知っているマイナーな存在だったようだ。ここでも貞柳が珍しきと詠んでいて、禅寺であっても本山の万福寺からもらわないと食べられないものだったようだ。どのような料理であったか、これも現代の禅寺のレシピだと精進の具で炒めたものが出てくるのだけど、ここでは暑気見舞いとあり、暑い時分であるから素麺のように食べたのではないかと想像しておこう。
「珍しき」のあとは、「べいふんたりけ」これは米粉と分陀利華(ふんだりけ)をつなげている。分陀利華は親鸞の正信偈に出てくる言葉で、元は極楽浄土に咲く白蓮、転じてすぐれた念仏行者を指すという。貞柳は東本願寺門徒で、そちらではおなじみの言葉だったかもしれないが、黄檗宗との関連は調べても出てこなかった。そのあとの「空にじゃくする」は、黄檗宗の開祖隠元の遺偈「一切空寂 万法無相」を「 空に寂する」と七文字におさめたのではないかと思われる。上の句のうどんを優曇華としたのも、もちろん仏教の縁語である。
ここで貞柳は「珍しき」だけで味の感想は言っていない。もしかすると、素麺の方が良かった、おいしくなかったということで、下の句は仏教用語で埋めたのかもしれない。
貞柳の「続家つと」には、雑の部にもう一首黄檗宗の歌がある。ついでに紹介しよう。
東山にて
南無おみは黄檗のみと思ひしに南禅寺にもとうふ有けり
(同上)
これも元の木版本には、黄檗(ワウバク)、禅(ゼン)とルビがある。
黄檗宗では「南無阿弥陀仏」を唐音で「なむおみとーふー」と唱えるそうで、それで「南禅寺にも豆腐ありけり」という落ちになった。万福寺といえば普茶料理が有名であるが、二首とも黄檗と食べ物を絡めた仕上がりになっている。