阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

はつなつの雲

2020-12-24 20:39:19 | ちょこっと文学鑑賞
 コロナが流行る前はサッカー観戦、特に育成年代の中学生、高校生の試合をよく見に行っていた。かつて5月の連休に行われていたプレミアカップという中学生の全国大会は堺市のJ-GREEN堺が会場で、南海電車を堺駅で降りて西口からバスに乗る、そのバス乗り場の近くに堺出身である与謝野晶子の像が建っている。





下に歌が刻まれていて、




   ふるさとの潮の遠音のわか胸にひひくをおほゆ初夏の雲
                       晶子のうた


歌集「舞姫」明治39年(1906)刊、に入っている一首である。これは後述する晶子の筆跡とは違っていて、おそらく現代の書家によるものだと思う。それはともかく、J-GREENに行く時はいつもこの像にご挨拶してからバスに乗るのが恒例であった。私が中学生年代の応援を始めたのは2011年、その翌年から2年続けて5月3、4日にJ-GREENに行ったけれども、私が応援しているサンフレッチェのジュニアユースは2年とも4日で敗退してしまって、5日の決勝には進めなかった。5日が立夏であったから、堺駅あるいはJ-Greenで「はつなつの雲」を見ることはできなかった。これは残念なことであった。

翌2014年、私は春先から帯状疱疹を患って、5月3日にJ-GREENに行くことはできなかった。まだ背中の痛みが残っていて、応援の太鼓を叩いたりフラッグを振るのも少し不安であった。選手たちには、決勝に出たら行くよと言っておいた。一試合ぐらい何とかなるだろうという思いもあったが、今年は行けないと言う代わりに軽い気持ちで言ったと思う。

ところが、いい加減に発した言葉は自分に跳ね返ってくるもので、選手たちが頑張ってチームは5日の決勝戦に進出、私も言った手前行かなければならない。中学生の選手たちに嘘は良くない。応援は父兄に任せておとなしく観戦することにして、5日朝の新幹線で出発、いつもの新今宮から南海電車のコースで堺駅西口の晶子さんに挨拶してから会場入りした。あいにくの小雨模様に加えて風も強く、はつなつの雲という感じではなかった。J-GREENには15面以上のサッカーのピッチがあって、S1から順番に番号がついている。メインのS1ピッチのスタンドに入って昨日まで応援の中心だった父兄からタイコを受け取ってみると、やはり決勝戦を応援したいという気持ちが強くなって、タイコを叩くことにした。そのあとは応援に集中して、はつなつの雲のことは忘れていた。そして試合後は頑張った選手たちにおめでとうを言う事ができた。後日、選手が輪になって優勝を喜び合っている写真を父兄からいただいた折に、はつなつを使って賛を入れてみた。





はつなつのJ-GREENのS1のピッチにでっかい紫の花


そのあと何度かJ-GREENに通ううちに、新大阪からだと地下鉄を大国町で乗り替えて住之江公園からバスの方が楽ということに気づいたのだけど、やはり晶子さんは避けて通れない。片道は南海電車を利用することにしている。

ここまで読んでいただいた皆様には大変申し訳ないのだけど、実はここからが本題である。コロナ禍で図書館に行けず、ヤフオクを見始めた8月ごろだっただろうか、明星抄という本の上巻が出品されていた。これは晶子自選自筆の歌を百首、木版刷りにした和綴じの本で大正七年(1918)刊、当時の価格は5円と書いたものがある。大正五年と十年ではかなり物価の変動があって今のどのぐらいとは決めにくいが高価な本であったことは間違いないようだ。そして目を引いたのは紹介の画像の一つに、堺駅西口と同じ歌がのっていた。私にとっては上記のごとく思い出深い歌である。これは手に入れたいと思った。しかし、この時はまだヤフオクで何も買ったことが無くて、右も左もわからない。しばらく様子見をしていたら、1人の方が入札されていたけれど、その後は動きが無い。そしたら数日後、終了期日を待たずに終了となってしまった。事情はわからないが、出品を取りやめたと思われる。参加したいと思っていただけに、残念だった。ヤフオクではもちろん狂歌関係の本を手に入れるのが第一の目的だけど、明星抄も検索ワードに加えて次の機会を待つことにした。

そしたら今月中旬になって、ふたたび明星抄の上巻が出品された。やはり、はつなつの雲の歌が紹介されていて、同じ出品者ではないかと思った。今度は私が先手を打って入札して、最終日に値が上がって一万円を超えたけれど、何とか落札することができた。送料をプラスして一万三千円の出費、私の本代の予算は月五千円程度なので、これは私にしては頑張ったと思う。しばらく本買えないけれど。そして昨日、無事に手元に届いた。まずは、はつなつの歌。





 ふるさとの潮の遠音のわが胸にひゞくをおぼゆ初夏の雲


届いてみて初めてわかったことがある。どうしてこのページを紹介画像に選んだのか。実は、このページにシミがありますよと教えてくれている。こういう本の傷みはしっかり示しておかないと後でクレームの原因になるのだろう。思い出の歌を見せて私に買えと言っているのかと思ったが、そんなはずはなかった。出品中毎日のように画像を眺めておきながら全くそのことに思い至らなかったのは愚かなことであった。

気を取り直して歌をみていくと、「おぼゆ」の「ほ」の書き方が私が普段読んでいる狂歌の本とは違っていて、ちょっと不安になったので他の歌で「ほ」の字が出てくるものを挙げておこう。



  蝶ひとつ土ぼこりよりあらはれてまへにまふとき君をおもひぬ




  獅子王に君はほまれをひとしくすよろこぶときもかなしむ時も


この二例は今まで見たことがある「ほ」に似ている。「おぼゆ」の「ほ」は少し書き損じたのかもしれない。そしてこの二つの歌の下絵は雲母刷り(きらずり)、光が反射している部分でわかっていただけるだろうか。装丁は日本画家で歌人でもあった平福百穂によるもので、さらに調べてみるとこの明星抄には、50丁全部が雲母刷りの本と、最初と最後の10丁が雲母刷りのものがあると書いてあった。上のはつなつの歌のページは雲母刷りではないから、うちに来たのは後者のようだ。これも、よく調べもしないで何も知らずに入札していたかと思うと冷や汗である。ついでに表紙と中表紙ものせておこう。







つまり私は、この本の装丁の眼目である雲母刷りではない部分の、しかもシミがあるページを見て欲しいと思った訳だ。自分の見たいものしか見ないような人間がアンティークの類に手を出すべきではないという教訓は残った。しかし考えてみると、はつなつの雲のページにシミがなかったならば画像で紹介されることもなく、この本を買うことも無かったのだから、何かの縁と思ってしっかり読んでみたい。みだれ髪からも入っていて、他には鎌倉や御仏なれどの歌もある。このあたりを代表作と言われるのを晶子は嫌がっていたことを考えると、自選といいながら読者へのサービスもあったのだろう。そのあたりも考えながら読んでみようと思う。

たれこめて

2020-03-17 20:32:11 | ちょこっと文学鑑賞
今日は古今和歌集巻第二、春哥下から一首、


      心ちそこなひてわつらひける時に風にあ
      たらしとておろしこめてのみ侍けるあひ
      たにおれる桜のちりかたになれりけるを見て
      よめる 
                   藤原よるかの朝臣

   たれこめて春の行ゑもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり


テキストは江戸時代の写本、朱字で訂正してあるが、歴史的仮名遣いだと「をれる桜」「春のゆくへ」となる。詞書に「風にあたらじ」とあり、よるかの朝臣は何の病気だったのか。私に言わせればこれは花粉症の歌であって、私もこの時期は引きこもりがちになってしまう。花見に誘われて花粉症だからと断ったら、サッカーは見に行くのに花見には来んのかと言われたことがある。しかし鼻がつまっていたら酒もうまくないし目もかゆいし、お花見ははっきりいって苦行である。一方サッカー観戦の90分間は花粉を忘れてギャーギャー言って終わる。終了後から翌日まで目喉鼻大変だけれども。それにどちらかというと宴会よりも桜の花を静かに眺める方が性に合っている。という訳で、サッカー観戦のついでに桜の木の下で弁当を広げることはあるけれど、お酒を伴うお花見はもう三十年ぐらいやってない、多分前にやったのは京都に住んでいた時の円山公園だったと思う。

 もっとも、今年は少し事情が違う。コロナの影響で例年以上に外に出る機会が少ない。東京では花見の自粛要請も出ている。こうなると、ひねくれ者の私としては、お花見をやってみたい。しかし、花粉の時期に酒がまずいのは変わらないし、だいたいずっと断り続けてるのだから、今更誘ってくれる人もいない。去年は一人で桜の木の下で弁当食ったが、目の前では子供たちがサッカーやっていて、選手から「何弁当ですか?」と聞かれたりもした。しかしサッカーも今月いっぱい軒並みお休みである。いくら静かに眺める方が良いといっても、まるっきり一人で花見弁当はさえない。やはり、いつもの阿武山の見える坂道でぶつぶつ言いながら眺めるだけにした方が良さそうだ。広島は縮景園の桜が今日一輪だけ咲いたそうで、まだ開花宣言には至っていない。咲く前に「たれこめて」を思い出したのは、せめて桜を見上げる機会だけは確保しなさいというお告げかもしれない。

根気が二流

2020-03-13 20:13:56 | ちょこっと文学鑑賞
タイトルの言葉は、司馬遼太郎「坂の上の雲」で、真之が大学予備門をやめて軍人への道を歩み始める場面、兄好古とのやりとりの中で出てくる。


「あしは、いまのまま大学予備門にいれば結局は官吏か学者になりますぞな」
「なればよい」
「しかし第二等の官吏、第二等の学者ですぞな」
━ふむ?
と、好古は顔をあげ、それが癖で、唇だけで微笑した。
「なぜわかるのかね」
「わかります。兄さんの前であれですが、大学予備門は天下の秀才の巣窟です。まわりをながめてみれば、自分が何者であるかがわかってきます」
「何者かね」
「学問は、二流、学問をするに必要な根気が二流」
「根気が二流かね」
「おもしろかろうがおもしろくなかろうがとにかく堪え忍んで勉強してゆくという意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも」
と、真之は自嘲した。
「要領がよすぎる」


 なぜこれを思い出したかと言うと、狂歌の索引を作りながら、つくづく自分には根気が足りないなあと。世の中には江戸と上方の狂歌すべてを打ち込んでいる方もいらっしゃるというのに、貞国の二百十余首でぐったりしているのだから話にならない。思えば学生時代、親に言われて嫌々出かけた新聞社の面接で、「君は学者向きだろう、新聞記者に向いてない」と言われた。そこに入りたければ、いやそんなことはないですと反論しなければいけなかったのだろうが、もとより気の進まない面接だったのでおっしゃる通りとうなずいておいた。実際、研究者になりたい気持ちはあったのだけど、とにかく根気が続かない。学生時代、図書館は居心地の良い場所ではなかった。用例をみつける作業が、どうしようもなく苦手だった。今考えると、私には最初から無理な道だったと思う。それなら何が向いていたのか、いや、これは今更言っても仕方ない事だからやめておこう。

 ここ2年ほど、図書館は逆に居心地の良い場所に変わって、今は図書館に行く時間が中々作れないのが残念でならない。どうして学生時代に、と思うのだけど、その時やり切って成仏できなかったから、今このブログを書いているのかもしれない。索引は何とか完成したけれど、ブログの記事にリンクをつけようとしたら字数オーバーのエラーが出た。リンクのアドレスも字数に入るようだ。索引を何分割かして・・・というのは、くたびれたから次の機会・・・やはり根気が続かない。それに、貞国の狂歌の索引とか、自分以外に見たい人などいるのだろうか。という訳で最新の日時にはせずに索引を書き始めた時間、3つ前の記事としてとりあえず公開とした。それでも、根気が途切れ途切れであったとしても、前には進んでいきたい。索引をじっくり眺めて、次はどこを攻めるか考えてみたい。

釈迢空 大つごもり 六首

2019-12-31 12:50:35 | ちょこっと文学鑑賞
一年の終わりがエラーなのも面白くないので、釈迢空「海やまのあひだ」から大つごもりの歌を引用して、2019年の締めくくりとしたい。


            大つごもり

 この霜にいで來ることか。 大みそか 砂風かぶる。 阪のかしらに

 乾鮭(カラサケ)のさがり しみゝに暗き軒 錢よみわたし、 大みそかなる

 病む母も、 明日は雑煮の座になほる 下ゑましさに、 臥(ネ)ておはすらむ

 この部屋に、 日ねもすあたる日の光り 大つごもりを、 とすれば まどろむ

 屋向かひの岩崎の門に、 大かど松たつるさわぎを見おろす。 われは

 鱈の魚 おもおも持ちて來る女の、 片手の菊は、 雨に濡れたり


一首目がわかりにくいのだけど、ここで悩んでいたら年が明けてしまうので引用に留めよう。最近ツイッターに、折口信夫は都会で生まれ育ったという点で、柳田国男とは違う視点を持っているという話が流れてきた。そういえば「昭和職人歌」なども、そういう傾向があるのかもしれない。一首引用しておこう。


  ゑいとれす

  くちびるに、
  色ある酒も 冷えにけり。
   頬(ホ)にまさぐれば、
    髪の みじかさ


さらにここから引用したら新年を迎えるのにふさわしくない事になりそうなのでこの辺で終わりとしたい。 それでは、みなさんよいお年を。

ころげとって下さい(広島弁)

2019-09-07 09:21:25 | ちょこっと文学鑑賞
そろそろ夏バテから復帰したいので久しぶりに投稿します。

 以前、祖父の色紙の回で「ころげる」の用例として私が通院している安佐北区可部南の病院で聞いた「ころげとって下さい」という看護師さんの言葉を紹介した。つまづいて転べと言っているのではなく、ベッドに横になってお待ちくださいという意味だ。単に横になるという意味で「ころげる」というのは広島弁独特の言い回しだが、今は広島市中心部で耳にすることは少なくて県北や島しょ部の方の会話には時々出てくるようだ。あまり注目はされていないけれども面白い表現と思って、「ころげとって」で書籍検索してみるといくつか広島弁がヒットして、図書館で三冊借りて帰った。三冊とも原爆の本であるが、原爆文学が読みたかった訳ではなく、検索したらたまたま原爆文学ばかりになった。原爆ということもあり、単に横になるのではなく倒れるというニュアンスが少し入っているだろうか。とにかく引用してみよう。

「広島の女・八月六日」村井志摩子
隣の家は、修道中学の先生が住んどられたんじゃがね、気がついてくれちゃって、
 「火がそこまで来とるんよ」
と、そこらにあった材木を拾って来て、それをテコにして、垂木(たるき)を持ちあげてから、這い出れるようにして下さった。私は横ばいになって、やっと外に出られたんよ、無我夢中よね、火に追われて南大橋まで逃げてきたら、人が何人もころげとって・・・・・・
顔や手がふくれて、もとの顔はさっぱりわからんのよ。

「島」堀田清美(日本の原爆文学12戯曲に収録)
一々そがいなことを言いよったら、きりはありゃせんよう、町にころげとった死体の数を見たら、普通の人間なら腰をぬかすようの、はらわたがとび出て、それを持ったまま死んだ人間やら、・・・・・言うに言われんようの、じゃがのう、母親が、子供に乳房をふくませたまま死んでの、どういうはずみでのう、子供が何にも知らずにその乳を吸いよる・・・・・・

「もうひとつの被爆碑 在日韓国人被爆体験の記録」創価学会青年反戦出版委員会
 そこで、伴(安佐南区)へ疎開しとったうちの叔父さんが大火傷したんじゃいうて聞いたんよ。そいで、わし、急いで行ってみたよ、
 途中、県庁の方通ったんじゃがね、何もない原っぱになっとった。福屋のデパートの焼け跡しかないんよ。金庫だけ、真っ赤になってころげとる。
 道なんか、全然ないんよ、そこをズンズン歩いて行ったんじゃがね、そこら中、人が死んどってね、臭いいうもんじゃないよ、鼻つまんで歩いても、まだ匂うんじゃけ、どこまで行っても、匂うんじゃけ、

 以上三つの本から「ころげとって」を引いてみた。三例とも被爆証言、あるいは証言風の構成だが、いずれも証言者の広島弁というよりは収録者あるいは著者の広島弁かもしれない。これは広島弁の収録が目的の本ではないから仕方ないのだろう。それからできれば最初の看護師さんの言葉のように平和に横になってる用例がほしいのだけど、これは検索に頼らず広島弁の会話が載っている本を読んでいくしかないのだろう。引き続き探してみたい。

 広島弁の用例という観点から原爆文学に触れたのだけど、三冊目の在日韓国人の被爆体験は広島に生まれ育った私も知らない事が多かった。日本に来た事情、帰れなかった事情、差別を受けながらの仕事の様子、それぞれ様々なケースが載っている。そして書かれているのは証言者がこの時代を必死で生き延びた記録である。どちらの国が悪いとかあまり書かれていない。考える余裕もなかったように思える。今の隣国との関係悪化、もちろん先方に理があるとは思わない。しかし、今のようにこじれてない時期の、悪意のない証言には耳を傾けてみても良いのではないかと思った。

祇園は恋し 寝るときも

2019-04-29 09:54:15 | ちょこっと文学鑑賞

 タイトルの吉井勇の歌、以前NHKBS-3の祇園の番組でアナウンサーが「ねるときも」と読んでギョッとした。それはないだろうと思った。しかし本棚にあるはずの歌集(吉井勇歌集 岩波文庫)が見当たらずそれきり忘れていた。昨日やっと部屋でみつけてまずその歌をチェック、

 

  かにかくに祇園は戀し寝(ぬ)るときも枕の下(した)を水のながるる

 

とあって、ルーペで拡大してもルビは「ぬ」となっている。この文庫本にルビのルールは書かれていない。しかし吉井勇自選の歌集であるから間違いないのではないかと思う。それではなぜNHKは「ねるときも」と読んだのか。間違いならば仕方ないが、意図的、例えば聞いてわかりやすくするために、ならばやめてもらいたいものだ。一部だけ現代の活用に変えるというのはありえないと思う。

 今回書きたいのはこれだけ、しかしせっかく吉井勇歌集が見つかったのだからルビという点からもう一首紹介したい。

 

  白秋が生まれしところ柳河の蟹味噌(がにみそ)に似しからき恋する 

 

蟹味噌は「がにみそ」となっているが、白秋の詩「蟹味噌」は「がねみそ」とルビが振ってある。他の箇所のルビは長くなるので一部略した。

 

    蟹味噌 三首

   どうせ、泣かすなら、 
   ピリリとござれ、 
   酒は地の酒 
   蟹(がね)の味噌。 
  
   臼で蟹搗(がねつ)き、 
   南蠻辛子、 
   どうせ、蟹味噌(がねみそ)、 
   ぬしや辛(から)い。 
  
   酒の肴に、 
   蟹味噌嚙ませ、 
   泣(ね)えてくれんの、 
   死んでくれ。 

 

引用した本には「これも柳河語の歌謡である。蟹味噌は蟹を生きながら臼に入れて搗きつぶし、唐辛子につける、その味痛烈人を泣かす。」と注があり、数頁前に「私の郷里筑後の柳河は水郷である。」という注もあるからこれらは白秋の自注と思われる。蟹はシオマネキが使われるという。吉井勇には、

 

  白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿

 

という歌もあり、また白秋の死をしらされた時には、

 

  紀の旅や筑紫の旅や亡き友のこと思ひ居(を)れば頭(かうべ)垂れ来(こ)し

 

白秋と九州、筑後を旅していて、蟹味噌を実際食したこともあったのかもしれないけれど、読みの記憶は不正確だったようだ。この蟹味噌には山田耕筰の曲がついていて、オペラ歌手の歌唱を聴いたことがある。しかし、どちらかといえばギターでぐちぐち歌いたいと思うのは偏見だろうか。


独りで食事を楽しめますか?

2018-09-26 09:59:58 | ちょこっと文学鑑賞

 10日前の片柳神父のツイートに、

「英語では「孤独」に二つの種類があります。独りぼっちの寂しさを抱えた「ロンリネス」と、独りでも寂しくはない「ソリチュード」。独りで世界と向かい合い、心が静かに満たされてゆく孤独、「ソリチュード」を学ぶことができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父」

というのがあった。わたしゃうたぐり深い性格なので、グーグル翻訳の単語をハイライトさせる機能で調べてみたら、

solitude: the state or situation of being alone.
she savored her few hours of freedom and solitude
 
loneliness: sadness because one has no friends or company.
feelings of depression and loneliness
 
(コピペしたらなぜか引用符号がカギ括弧に変わってしまいました。ご容赦ください)
 
となっていて、確かにロンリネスにはsadnessという感情が入っているのに対して、ソリチュードは単に一人の状況、例文の動詞savorには楽しむというニュアンスがあるようだから片柳神父がおっしゃった通りのようだ。
 
 さてここから本題。私は両親と住んでいるけれど何かをする時は大抵一人で、そんなに寂しいと思ったことはなかった。ユースを応援しながらJ観戦していた頃は、サッカーの日も試合の前後は一人でいる時間が多いし、遠征も一人旅が基本だった。別に孤独感に悩むことはなかったと思う。ただ、食事は一人だとつまらなくて、一人で食べる時はコンビニ弁当とかで十分、一人で良い店で食ってもうまいとは感じなかった。一人で飲むのも陰気な酒で嫌だった。一方気の合う人とならファストフードでも楽しいから、私には豪華な食事は必要ないという結論になってしまうのだが、とにかく昔はそうだった。 ここで、茂吉の歌を一首見ていただきたい。

  ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食うは楽(たぬ)しかりけり 

これは書斎のような所に出前を取ったのであろうか、ウナギがうまいというのではなく、楽しいと詠んでいる。食事の前になしとげた仕事の充実感が伝わってくる歌ではないだろうか。私にはその部分が足りないのではないかとも思った。

 ところが、そのあと私にも一人で食事を楽しめる時期がやってきた。7年前にジュニアユースの応援を始めて、冬の高円宮杯の前日などは声が出なかったらどうしようと喉の調子に悩むことも多かったけれど、一人サポーターとして結構充実した日々を送っていた。そしたら、それまでしなかった一人で居酒屋に入ったり少し贅沢な食事をしたり少なくとも遠征時には弁当の比率は大きく減ったと思う。もっとも、蕎麦とかウナギとか寒シマメのイカ丼とか京野菜とか、居酒屋だったら日本酒とゲソとかイカ納豆とか、自分の大好物を短時間で楽しむのに限られる。コースあるいはおまかせ料理を一人で、という心境にはならなかった。でも確かに一人で楽しんでいた。ソリチュードという言葉は知らなかったけれど、そのたびに茂吉の歌を思い出した。
 
 今はどうだろうか。またロンリネスとお友達かもしれない。まずは体調を何とかしたいと思うけれど、今の体調でソリチュードにたどり着く方法も考えてみないといけないのだろうか。だがしかし、一人で楽しめるに越したことはないけれど、一人でいることは嫌いではないけれど、それでも、たまには誘ってくださいな・・・