阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

華雲拝誦仕候

2021-02-25 11:19:59 | 手紙
タイトルの「華雲拝誦仕候」は最近読んでいる手紙文のお手本に出てくる返書の冒頭の一文で「かうんはいしょうつかまつりそろ」と読むようだ。



ブログ主蔵「開化日用 文證大成上」(明治10年刊)8丁オ

華雲は受け取った手紙の美称で、この文は「お手紙拝見いたしました」という意味になる。画像の上部には歩行や放蕩の類語が載っているが、この「お手紙」に当たる言葉も数多くのバリエーションがある。別の本では「朶雲(だうん)拝誦」となっている。雲を一朶(いちだ)と数えるのを「坂の上の雲」の後書ながら明治人の気質を表現した有名な一文「 のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう 」で覚えたのは私だけではないだろう。



ブログ主蔵「普通手紙文 上」(明治30年刊)

二つを見比べると手紙の主旨を表す言葉が尊諭から来諭に変わっていて、明治の手紙文はとにかく漢語の語彙が豊富である。江戸時代の知識層であった武家の学問は朱子学が主流であったことを考えると明治になっても漢文の語彙すなわち教養だったのかもしれない。今の時代は外国語や自然科学など覚えることがたくさんあって、このレベルを求められたら学生の頭はパンクしてしまうだろう。日常使う語彙数が減っていくのは現代人が馬鹿になったという訳ではないと思う。ネットに頼って、あるいはスマホに時間をとられて多少不勉強という面はあるかもしれないけれど。とにかく漢字というものは一文字でも多くの情報を持っていて、我々はその恩恵を受けている一方で、覚えるのに脳みそを余分に使っていて他の分野での研究を考えると国際競争において最初からハンデを負っているという指摘もある。さらに熟語の語彙数を減らす、あるいは文化大革命のように漢字を簡略化する未来も考えられるのかもしれない。古文、漢文を高校で教える必要はないという人もいる。しかし漢文は千年以上にわたって公文書や書状日記などに使われていて、わが国の歴史文化を知りたい人には必須だと思う。そして、外国語と古文を人格形成期に学ぶことは、日本人、あるいは自身のアイデンティティを考える上でも意義のあることではないかと思う。話がそれてしまった。元の本にもどって、「御手紙」の類語が書いてあるページをみると、たくさんのっていて、





雲を使う言葉では他に雲箋、彩雲、雲縅というのもあるようだ。ここに載っているだけでも多いと思うのだけど、この手の本を読むとこれ以外もたくさん見つかる。飛鴻、薫書、来翰、雁信、羽書、鸞箋と一冊をめくっただけで違うのが次々に出てくる。一連の類語は返書の冒頭部分に現れるので「お手紙」の言い換えだと私にもわかるけれど、文中には知らない熟語が次々に出て来て中々難儀である。草書のくずしが読めない時も、知っている熟語ならば一文字読めたら推測できるのだが、熟語を知らないとその手も使えない。江戸時代の文書を読むには全然力が足りない。しかしながら、今は家にいて暇な時間も多くあるのだから、この手紙文を練習問題だと思って解読してみたいものだ。


棋聖戦第3局 井山棋聖の106手目

2021-02-07 23:25:54 | 囲碁
以前、AIについて書いた時に、囲碁における妙手とは必ずしも最善手とは限らなくて、見ている人の心を動かす手ではないか、だからAIが人間より先に行ってしまっても妙手に出会えるだろうと書いた。昨日の井山棋聖の106手目は、まさにその妙手の定義に合致する一手だったと思う。囲碁の棋譜にも著作権があって手順はいけないだろうからその場面だけ。いや、手順を示せたとしても私には解説できないのだけど。



幽玄の間の解説が右のウインドウに見えているが、解説のプロ棋士から見ても驚くべき一手だったようだ。もっとも現時点では、この手が最善手だったかどうかはわからない。しかし、最初に書いたように最善かどうかはこの際大したことではない。令和の妙手として囲碁史に残るのは間違いないだろう。

手の解説はできないので、ちょっと話を変えて、最近囲碁の懸賞がよく当たる。最初は去年12月、広島アルミ杯の優勝予想クイズで里菜先生の優勝を当ててカープカレンダーをもらった。




次は先月、棋聖戦第1局の封じ手予想クイズで井山先生の扇子





それからこれも先月、週刊碁の10大ニュースみたいなのに投票したら里菜先生のクリアファイル、里菜先生のファンなのでこれは嬉しかった。





続けて三つ、やはり倍率が低いのかもしれない。もっと囲碁の魅力を多くの人に知ってもらえたら良いのだけど、私が発信するのは中々難しい。そして国内の棋戦では井山先生は強すぎるから、どちらかと言えば相手を応援していることが多くて扇子をもらったのが何となく申し訳ない気持ちだったが、今回の妙手をネット観戦できたことで、この扇子を使える夏の日が待ち遠しくなった。「妙を得る」とはこのことだろうか。