今回は、「人倫狂歌集」から口よせと題した歌を紹介しよう。最後の挿絵の歌は、上の句の読みに自信がないのだけど、とにかく引用してみよう。
(二十七丁表)
口よせ
しにうせし人はしらねとわかむねのうかんたまゝにしやへる口よせ
弓とつる遠まはしにもその人のまつ口うらをひくあつさみこ
なき夫に水をむけてはあつさよりこちらのかみをおろすきになる
弓とつる遠まはしにもその人のまつ口うらをひくあつさみこ
なき夫に水をむけてはあつさよりこちらのかみをおろすきになる
(二十七丁裏) 挿絵
るりこはく水晶のすゝのくりことに世になきたまをよする口よせ
ここで目を引くのは口寄せをしている女性の挿絵
ぱっと見、幽霊みたいな涼しさを感じる絵だ。色々道具が描かれている。「カラー図解付き 江戸がわかる用語事典 」の巫女(いちこ)の項には、
「梓の木で作った弓の弦をたたきながら口よせをするので梓巫女(あずさみこ)とも呼んだ。梓弓を入れた箱を風呂敷で包み、黒帯に白足袋をつけていた。」
とあり、二首目の「あつさみこ」はこの口寄せ(職業)の別名とわかった。そしてここにも絵がついていて、
イラストによって随分印象が違う。そして道具も少し違うようだ。もう一例、東海道中膝栗毛の日坂宿で弥次さんが巫女(いちこ)に死別した妻を口寄せしてもらう場面、
「いち女れいのはこを出してなをすこと、さしこゝろへてやどの女、水をくみ来る、彌次郎すぎさりし女房のことを思ひだして、しきみのはに水をむけると、いち子は先神おろしをはじめる」
弥次さんがシキミの葉に水を向けて、巫女の神おろしが始まったとある。ここにも挿絵がついていて、
死別した妻の霊に責められて泣く弥次さんとそれを見て笑う喜多さんが描かれている。昭和2年の本では少し違っていて、
この老婆は霊なのか、それともあとから登場する・・・いや、そうだとするとネタバレになるので触れないでおこう。そして巫女の前の茶碗にシキミの葉らしきものが描き加えてある。人倫狂歌集の挿絵でも、茶碗の中に葉が描いてある。今も使う「水を向ける」という表現はこの口寄せが語源で、依頼人が水を向けて、然る後に巫女が口寄せを始めるという段取りだったようだ。このあと巫女が神おろしの向上を述べたあとで、「なつかしやなつかしや、よく水をむけて下さつた」と弥次さんに語り始める。神おろしのお終いには、巫女が、
「アヽ名残おしや、かたりたいことといたいこと、数かぎりはつきせねど、冥途の使しげければ、弥陀の浄土へ」トうつむきていちこはあずさの弓をしまふ
昭和の本では最後が「弓を鳴らす」になっている。このあと巫女の部屋に夜這いという展開になって最後に狂歌があるのだけど、昭和の本は活字なので、是非読んでいただきたい。
ここまでを踏まえて、人倫狂歌集の歌をみてみよう。恐山の口寄せの体験談を読むと、イタコは結構一方的に話し続けるらしい。「我が胸の浮かんだままにしゃべる」はそういう光景と思われる。
二首目は口裏(占)を引くという言葉が出てくる。ネットで引くと「相手の心中を察して話をもちかける 」「本心を言わせるように誘いをかける 」と出てきて、巫女の側が探りを入れている状態だろうか。
三首目は「水を向ける」が出てきて、しかし下の句の「かみをおろす」にどうつながるのか。これは梓巫女が「神を降ろす」と未亡人が「髪を下ろす」が掛けてあると思われ、巫女の話を聞いているうちにそういう心情になるということと解しておこう。
挿絵の歌は一応、瑠璃、琥珀、水晶の鈴と読んでみたけれど、そのような道具は出てこない。間違っているのかもしれない。「世に無き魂を寄する口寄せ」と、怖い下の句に呼応する上の句が、私の力不足でよくわからないのは残念なことだ。
絵についても、人倫狂歌集のは独特で、積み上げられた米粒のようなものが何なのか、これもわからない。梓の弓はアイヌのムックリと関連があるという指摘も読んだけれど、アイヌは口寄せはしないそうだ。わからない事だらけで、スピリチュアル系に強い方がいらっしゃったら、ご教示いただきたい。