タイトルの吉井勇の歌、以前NHKBS-3の祇園の番組でアナウンサーが「ねるときも」と読んでギョッとした。それはないだろうと思った。しかし本棚にあるはずの歌集(吉井勇歌集 岩波文庫)が見当たらずそれきり忘れていた。昨日やっと部屋でみつけてまずその歌をチェック、
かにかくに祇園は戀し寝(ぬ)るときも枕の下(した)を水のながるる
とあって、ルーペで拡大してもルビは「ぬ」となっている。この文庫本にルビのルールは書かれていない。しかし吉井勇自選の歌集であるから間違いないのではないかと思う。それではなぜNHKは「ねるときも」と読んだのか。間違いならば仕方ないが、意図的、例えば聞いてわかりやすくするために、ならばやめてもらいたいものだ。一部だけ現代の活用に変えるというのはありえないと思う。
今回書きたいのはこれだけ、しかしせっかく吉井勇歌集が見つかったのだからルビという点からもう一首紹介したい。
白秋が生まれしところ柳河の蟹味噌(がにみそ)に似しからき恋する
蟹味噌は「がにみそ」となっているが、白秋の詩「蟹味噌」は「がねみそ」とルビが振ってある。他の箇所のルビは長くなるので一部略した。
蟹味噌 三首
どうせ、泣かすなら、
ピリリとござれ、
酒は地の酒
蟹(がね)の味噌。
臼で蟹搗(がねつ)き、
南蠻辛子、
どうせ、蟹味噌(がねみそ)、
ぬしや辛(から)い。
酒の肴に、
蟹味噌嚙ませ、
泣(ね)えてくれんの、
死んでくれ。
引用した本には「これも柳河語の歌謡である。蟹味噌は蟹を生きながら臼に入れて搗きつぶし、唐辛子につける、その味痛烈人を泣かす。」と注があり、数頁前に「私の郷里筑後の柳河は水郷である。」という注もあるからこれらは白秋の自注と思われる。蟹はシオマネキが使われるという。吉井勇には、
白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿
という歌もあり、また白秋の死をしらされた時には、
紀の旅や筑紫の旅や亡き友のこと思ひ居(を)れば頭(かうべ)垂れ来(こ)し
白秋と九州、筑後を旅していて、蟹味噌を実際食したこともあったのかもしれないけれど、読みの記憶は不正確だったようだ。この蟹味噌には山田耕筰の曲がついていて、オペラ歌手の歌唱を聴いたことがある。しかし、どちらかといえばギターでぐちぐち歌いたいと思うのは偏見だろうか。