東京都現代美術館で開催中のMOTアニュアル2016「キセイノセイキ」展。
既製の世紀?規制の世紀? 含みをもたせたタイトルですが、現在の美術館をはじめとした既製の制度に対する批判を含んだ展示で、公立の美術館で開催されたことに驚く内容でした。(一部作品を除き、撮影は可能でした。)
■ 許せなくなるのはなぜ?
まず見に飛び込んでくるのは、スミノフを飲む女子高生の巨大な写真。…なんで美術館にこんなものが?!と、ぎょっとしてしまいます。
これは、齋藤はぢめさんがさまざまな立場の人のコスプレをして撮影した写真の一枚なのだそうですが、なんとなく不愉快に感じてしまうのはなぜでしょうか?規則を守っていないように見えるから?
(「CLEAR」/ 齋藤はぢめ )
自分が本当にその行為自体を不快に感じるのか、規則を守っていないから不快に感じるのか… 例えば、電車の中での携帯電話の通話でも、行為そのものよりも”マナーを守らないこと”にイライラしてしまうのではないか?と感じることがあります。
なんだか、不快にならないようにつくったルールに縛られて、実際には不快でなくとも行為を許容できなくなってしまうような気もしてきます。
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アルトゥル・ジミェフスキの「繰り返し」は、一般人を看守役と囚人役に分けてその行動の変化を観察する「監獄実験」を現代でもう一度行った映像作品。1971年に行われたジンバルドーの監獄実験では看守役が徐々にモンスター化していき、人の暴力的な本質をあらわにしたということでしたが…
(「繰り返し」/ アルトゥル・ジミェフスキ
40分もある作品ですが、思いがけない展開に見入ってしまいました。)
その説明を聞くと、看守役が囚人役に厳しく当たることに快楽を見出していくように想像していましたが、この作品を見ているとその非人道的な行動も「看守役をきちんと全うしなくては」という責任感・正義感から来ているように見えてきます。歴史上の非人道的な事件の当事者も、ひょっとしたら疑問を抱きつつも「正義感」から止められなかったのかも… と考えてしまいます。
どちらの作品も、正義感ゆえに他人を許せなくなる恐ろしさを感じました。
■ 見られないのはなぜ?
戦争関連の作品も印象的でした。
森美術館「六本木クロッシング2016」にも参加中の藤井光さんの「爆撃の記録」の展示室には入ってびっくり。「爆弾の破片」「焼夷弾の弾尾」といった、太平洋戦争の資料のキャプションだけでモノはなにも置いてありません。
何か"規制"されたのかな?なんて勘ぐってしまいましたが、実は東京に建築する予定で実現されなかった「平和祈念館」を想像で作っている作品なのだと知ります。
(「爆撃の記録」 / 藤井光 )
祈念館が実現しなかったのは歴史認識の差が原因なのだそうですが、もし都内にできていたとして自分は何度足を運んだかな?と考えてみると…どうでしょう? ちゃんと普段から関心を持っている人には何も置いてなくても「見える」展示だったのかもしれません。
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続いての小泉明郎さんの「オーラル・ヒストリー」も戦争をテーマにした作品。「1940年から1945年にかけて、日本でなにがありましたか?」という問いに対して、様々な世代の人が答える口元が映し出されています。
「生きられるか分からなくてもとにかく逃げて…」と、太平洋戦争について細かく語ってくれるお年寄りと、「ペリー来航?」「原発?原爆?」と、ずれた回答の若者の対比だけならワイドショーのインタビューのようでしたが…
(「オーラル・ヒストリー」/ 小泉明郎
小泉明郎さんのもうひとつの作品「空気」は、自主規制で会場にはキャプションのみ置かれています。5月15日(日)までは清澄白河にある無人島プロダクションで拝見することができるそうです。)
一見お年寄りの口元でも「父が戦争に行ったんだけど…ほとんど話してくれなくて…」と語っていて、戦争を知っている世代がもうずっと上の世代で語り継ぐのが難しいことや、若い人でも「日本が攻め込んだとされていて…実際にはわからないけど…個人的には虐殺とかもあったんじゃないかと思うけど…」と、学校で教わってきたこともどこまで正しい分からなくて語れないことなどに気づかされていきます。
どちらも戦争について、誰かに規制されているのではなく、学校で受動的に聞いてきただけで、自分自身が積極的に知ろうとしていないことに気づかされる作品でした。
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最後に、報道カメラマン・横田徹さんの「WAR(不完全版)」は、パレスチナの紛争などの現場をおさめたドキュメンタリー映像ですが、中学生用と高校生用の2つの展示が用意されています。学校の先生の話をもとに、それぞれの年代に応じて映像の一部を見えないようにしていますが、「犬の死骸はいいけど人の死体はダメ」とか「何のシーンかわからないのでOK」とか、考えてみるとなんだか変な感じもします。
高校生Ver.ではリンチを受ける映像や、焼死体、人骨が散乱した場面などもあり、ニュースで見るよりもずっと生々しく、戦争では「人によって人が殺される」「人によって人の作ったものが破壊される」という事実を言葉で聞くよりも重く思い知らされます。
(「WAR(不完全版)」 / 横田徹 )
作品を見て”実際に見ることは大事”だと思った一方、何の心構えもなくニュースでテロの現場の跡の様子や泣き叫ぶ映像などを見ると苦しく感じてしまうこともあり、「暴力も死体も全て規制なく報道すべきだ」とは言えず…どこに規制のラインを引くのかはとても難しいことだと感じました。ただ、不快な映像や言葉で”炎上”が起こる現代、見る側の”許容”の幅を少し広げていくように自分たちが努力しなくてはいけないようにも感じました。
(「WAR(不完全版)」には、どのような基準で規制を作ったかも掲示されています。納得の内容から、こんな理由で?という内容まで、様々な規制がひかれています。)
「規制」をひとつのテーマとした展覧会ですが、アーティストの”表現の自由”を追求するような展示ではなく、私たちの身の回りにある「規制」がどのようにできて、私たちにどんな影響を及ぼしているのか?ということを考えさせる展示であるように感じました。
それにしても今回の展示、「本展示には一部暴力的な表現が含まれています」とか、「主観的な歴史観や差別表現が含まれています」といった注意書きが本当に多かったです。 これを「自主規制」ととるか「見る人への思いやり」ととるか… 注意書きひとつを見ても「規制」の線引きは難しいことだと感じます。
(小泉明郎さんの「オーラル・ヒストリー」に添えられた注意書き。不快に感じる人がいる限りは書いておくべきなのでしょうか…)
■コレクション展もオススメ!
なお、企画展のチケットで入場できる「コレクション・オンゴーイング」展では、休館前の最後のコレクション展とうことで、とても有名な作品や貴重な作品を一挙に見ることができます!
先期の展示から続いての大友良英+青山泰知+伊藤隆之による、アトリウムでの目にも耳にも楽しい作品「Without Records」に続き、アンディ・ウォーホルやデイヴィッド・ホックニーらのユニークな作品、そして草間彌生(1950年代の作品!)、李禹煥らの鉛筆と紙による作品など、なかなかお目にかかれない「紙の上の作品、紙による作品」も見ることができ、とてもオススメです。
(「Without Records」/ 大友良英+青山泰知+伊藤隆之
レコード盤がなく、レコードプレイヤー自身が音を奏でる面白い作品です。)
同時開催の「ピクサー展」が120分待ちの大行列の中でしたが、「キセイノセイキ」展は優先的にチケットも購入させてもらえます。
見た直後に心地よい気分になれる展覧会ではありませんが、家に帰ってからも、1週間後にも作品を思い返しては考えてしまうような展覧会です。5月29日(日)までとあと一ヶ月を切ってしまいましたが、ぜひご覧ください。
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■DATA■
MOTアニュアル2016 キセイノセイキ @東京都現代美術館
会期:2016年3月5日(土)〜2016年5月29日(日)
休館日:月曜日(2016年3月21日は開館)、3月22日
会場:企画展示室 地下2F
日本の若手作家による新しい現代美術の動向を紹介する「MOTアニュアル」。第14回目となる本展では、アーティスト支援システム「ARTISTS'GUILD(アーティスツ・ギルド)」を取り上げ、日本におけるアーティストの生活環境を変えるべく取り組む若手作家たちの実践を紹介 します。若手作家が集まり、その創造力でもって社会で循環するシステムを構築していこうとする動きを、現代のわれわれを取り巻く状況に反応して生まれた一 つの表現としてとらえ、社会におけるアーティストの立場、役割を検証します。
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