(「無題」/ 小泉明朗 (2000年) )
— 東京の電車の中。高い密度で人が集まっているにも関わらず、まるで誰もお互いが見えないように振る舞っている。そんな中、隣の席の男性が突然大声で泣き叫び始めたら…
小泉明朗さんの今回の個展の作品は、そんな風に ”規律を破っている訳ではないけれども「”常識”だから、やらない」”というタブーに触れて、平常運行している日常に疑問を投げかけてくれるような作品と、”特攻隊”をテーマとした展示を軸に構成されていました。
「戦争を体験していない世代が”特攻隊”をテーマに作品をつくる」ということ自体も一種のタブーかもしれないと考えると、様々なタブーに挑んでいくような作品なのかもしれません。
「戦争を体験していない世代が”特攻隊”をテーマに作品をつくる」ということ自体も一種のタブーかもしれないと考えると、様々なタブーに挑んでいくような作品なのかもしれません。
アーツ前橋で開催された「小泉明郎 捕われた声は静寂の夢を見る」(2015年3月21日〜2015年6月7日)は、作品を見るにつれて心がかき乱され、会場を出た後にも悶々と考え続けてしまうような展覧会でした。
その要素は2つ。
1つは、「演出」の要素。
今回、”特攻隊”をテーマにした映像作品がいくつか展示されていましたが、例えば「若き侍の肖像(4チャンネル・バージョン)」や「ダブル・プロジェクション#1ー沈黙では語れぬこと」では、カメラの前で特攻隊の演技をする役者、あるいは特攻隊の経験を語る男性に、撮影されている小泉さんから次々と「もっとこんな風にしゃべってください」といった ”演出” の指示が出されていきます。その指示に従っていくことで、カメラの前の人に特攻隊員が憑依したように変化していきます。
(「ディフェクト・イン・ビジョン」 / 小泉明朗 (2011年))
完成した作品を見るとその鬼気迫る演技に心が揺さぶられてしいますが、その映像は全て”演出”の上に成り立っているもの。コントロールの下で予定された感動を与えられているのではないか?そう考えると、”映画”や、”ドキュメンタリー””ノンフィクション”といわれるものも全て誰かの意図の下で、感動をコントロールされているのではないか…と釈然としない気分になっていきました。一方で、演出がないこと・ノンフィクションであること、というのはそんなにも重要なことなんだろうか?といった疑問も沸いてきてしまいました。
防空壕のような真っ暗な空間に浮き上がる男性の顔の映像。目を閉じて空襲体験を語る男性。没入感のある空間で、その場の状況が目に浮かぶように語る男性の話に聞き入ってしまうも、これも本当の話なんだろうか…?とも考えてしまいました。
もう1つは、「タブーに触れる」要素。
初めに書いた、電車の中で男性が叫ぶ作品「劇場は美しい午後の夢を見る」や、亡き母への電話を、見ず知らずの人にかける「僕の声はきっとあなたに届いている」は、通常運行している日常をかき乱すような作品。
初めに書いた、電車の中で男性が叫ぶ作品「劇場は美しい午後の夢を見る」や、亡き母への電話を、見ず知らずの人にかける「僕の声はきっとあなたに届いている」は、通常運行している日常をかき乱すような作品。
「劇場は美しい午後の夢を見る」は、2010年から現在に至るまで長期的に製作がつづけられている作品なのだそうですが、当初、”電車の中で男性が突然泣き出す”ということを試してみたけれど何も起こらなかったそうです。男性が”泣きわめき、叫ぶ”ところでやっと電車の中の雰囲気が変わったとのこと。
(「劇場は美しい午後の夢を見る」 / 小泉明朗 (2010-2015年) )
隣で誰かが少し泣いているだけでは誰も気にかけないし、そこに誰もいないかのように振る舞う。普段だったらちっとも疑わないこんな状況って、本当に「モラル的」で「普通」の対応なんだろうか?といった疑問を持たせてくれます。
ただその気づかせ方はとても手粗いもので、その場にいた人たちはとても不快で恐怖じゃないかと思ってしまいました。そして、その隠し撮りされた、困惑した表情の映像が各地の美術館の中で放映され続けることも… 感情的ですが、自分だったら嫌だなぁ…と。
どの作品も、スクリーンの使い方などの映像の見せ方が非常に面白く、また、最後の「捕われた言葉」へ誘導するように少しずつ形を変えたドローイングや立体作品が並べられたり、特攻隊や戦争をテーマにした作品が演出手法を少しずつ増やしながら展開されていく会場構成にもすっかりひき込まれてしまいました。
(「眠っている少年」 / 小泉明朗 (2014-2015) )
展覧会のリストには、小泉さんの言葉で
「自然のように見えるものから、いかに自由いられるか、またいかにその秩序の外に向かう事ができるのか、ということは私にとっては大きなテーマだと感じます。」
とありました。
普段”自然”と思っているものの外に出るから、作品を観たときに”不快”や”恐怖”を感じてしまう。でも、自分の”自然”が疑われる事で心がかき乱されて何度も考え直してしまう。いつまでも重く心にのしかかるような展覧会になりました。
今年のベネツィア・ビエンナーレの日本館は、塩田千春さんの展示ですが、学芸員5人のうち2人が小泉明朗さんの展示を企画されていたということも知りました。(参考:「【レポート】 第56回ヴェネチア・ビエンナーレ出品作家に塩田千春 キュレーターには中野仁詞」/ Art Annual online) 日本独特の背景を持つ映像作品から沸き起こる複雑な感覚。心地は良くないけれども、いつまでも心に引っかかり続ける作品。海外の方の目にはどのように映るのでしょうか。
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■DATA
会場:アーツ前橋
会期:2015年3月21日(土・祝)から2015年6月7日(日)
開館時間:11時から19時(入館は18時30分まで)
休 館 日 :水曜日 4月29日(水)、5月6日(水)は開館し翌日休館
観 覧 料 :一般500円(300円) 大学生300円 65歳以上300円 高校生以下無料
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