今日は64回目の慰霊の日。沖縄にとっては特別な日です。。『慰霊の日って何?、沖縄戦って何??』とゆう方もいらっしゃるかもしれませんので、以前投稿した自分のブログの文章を修正し、説明させて頂きますね
6月23日。その日は皆さんにとってどんな日ですか?、多分大抵の方は、ごく普通のありふれた1日だと思います。。。しかし沖縄の人からするととても重要な日なのです。「慰霊の日」、聞いたことはあると思いますが、沖縄戦での日本軍最高司令官が自決し、国家(軍)としての戦いが終結した日とされています。。何故『されています』なのかと言うと、司令官亡き後も戦争は続き、最終的には9月7日にようやく降伏し、それまでの2ヶ月間で1万人の方が亡くなられました)。。ですから『慰霊の日』=沖縄戦終結の日、では無いのです。。。。沖縄戦は現在の日本国内の都道府県で唯一地上戦が繰り広げられました。。連合軍は6畳に1つの爆弾を落とした計算になるようなものすごい攻撃をしました。爆弾が雨のように落ちてくるさまは『鉄の暴風』だったそうです。。。
皆さん「プライベート・ライアン」とゆう映画をご存知ですか?、映画を観た方ならご存知だとは思いますか、普通敵国領土に上陸する際はものすごい戦闘が起こり、凄まじい光景になりますが、連合軍が沖縄上陸の際、戦闘は一切起きませんでした。これを「無血上陸」と言い連合軍はとても驚いたそうです。。まるでピクニック気分だったと。。しかしそれにはちゃんとした理由がありました。日本軍は連合軍を島の中に引きずり込んで戦いを長引かそうとしたのです。その意味がわかりますか?、、、沖縄戦は完全に「捨て石」「時間稼ぎ」だったのです。その結果沖縄県民(民間人)は12万人が犠牲になりました。これは当時の県民の四分の一、本島内の人口で計算すると、何と三分の一が亡くなった事になるそうです。。。お父さんお母さん自分の中で必ず誰か死ぬとゆう恐ろしい確率。。。初めて知った人もいるでしょうが、沖縄にはそんな悲惨な過去があったのです。
沖縄県の南部(島尻)糸満市摩文仁(まぶに)にある『平和の礎』、行った事のない皆さんも名前だけはご存知だと思います。この『平和の礎』は戦死者の名前が刻印されている、ただの慰霊碑と思う方がいると思います。普通、慰霊碑とゆうのは各国ごとに建てて、自国の戦死者の名前だけを刻印します。しかし『平和の礎』は世界で唯一、敵・味方関係なく『沖縄戦』で命を落とした方々の名前を刻印した慰霊碑なのです。この理由こそが『平和の礎』たる由縁だと思います。。。沖縄戦の戦死者の完全な人数とゆうのは未だわからずに、年々増えていきます。今年までに把握し刻印した犠牲者数、24万856名。。。この24万856名の刻印された礎を見た時、人は戦争の愚かさに気付き、平和の大切さを深く感じる事でしょう。。。ちなみにかりゆし常連のKさんのおじいちゃんは沖縄戦で亡くなり名前は『平和の礎』にちゃんと刻印されてあるそうだ。
今日6月23日、沖縄が深い悲しみと、強い平和への思いを感じる日。。。テレビ番組はNHKが25分だけ慰霊の日式典を放送しただけだ。たったの25分。。。後の番組は通常通りバカ騒ぎの番組だけ。。。沖縄の悲しい出来事なんて、無かった事にしたいのかな。
6月23日、俺のオジー、オバー達に『生き延びてくれてありがとうございます、あなたがたが繋いだ命を、俺も必ず繋げていきます。無駄にしません』と、深く感謝する日。
『命(ぬち)どぅ宝』。。。
生きているとゆう事は、ただそれだけで素晴らしい事。
生きているのだけで丸儲け。
命どぅ宝、命どぅ宝、死んでしまえば終わりだから
命どぅ宝