自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「自転車屋の生き物歳時記」!!「オオムラサキ」!!

2016-07-16 13:51:21 | 地域
「7月16日(土)」

「自転車屋の生き物歳時記」

「オオムラサキ」

今の季節
雑木林を飛び回っているであろう
美しい国蝶オオムラサキ

オイラは
残念ながら
天然では見たことがないし

地域的には絶滅している地域もあるが
いるところには
まだまだいるようです。


オオムラサキ(大紫 )は

チョウ目(鱗翅目)タテハチョウ科に分類される
チョウの1種。

日本の国蝶。

中国名は「大紫蛺蝶」。

本種は
最初に日本で発見され
(種の基産地は神奈川県)
属名の Sasakia は佐々木忠次郎に献名された。

日本・朝鮮半島・中国・
台湾北部・ベトナム北部に分布している。

日本では
北海道から九州まで各地に分布し
南限は宮崎県小林市。

日本では生息環境が限られ

適度に管理された
やや規模の大きな雑木林を
好んで生息する傾向が強い。

かつては
東京都区内の雑木林でも見られた。

都市近郊では
地域絶滅の危機に瀕する産地もある一方

山梨県のように
今でも広域に多産する地域がある。

日本に分布する
広義のタテハチョウ科の中では
最大級の種類。

生態や幼虫
蛹の形態は同じコムラサキ亜科の
ゴマダラチョウによく似る。

成虫は
前翅長50–55mmほどで
オスの翅の表面は光沢のある青紫色で美しい。

メスはオスよりひと回り大きいが
翅に青紫色の光沢はなくこげ茶色をしている。

日本での地理的変異はやや顕著。

北海道から東北地方の個体は
翅表の明色斑や裏面が黄色く小型。

西日本各地の個体は一般に大型で
翅表明色斑が白色に近く
かつ裏面が淡い緑色の個体も多い。

九州産は翅表明色斑が縮小し
一見して黒っぽい印象を与える。

日本以外では
裏面に濃色の斑紋が出現した型が多く見られ

また
雲南省からベトナムにかけての個体群は
明色斑が非常に発達する。

雌雄嵌合体も何例か記録されている。

成虫は
年に1回だけ6–7月に発生し
8月にも生き残った成虫を見かける。

クヌギ、コナラ、ニレ、クワ、ヤナギなどの
樹液に集まったり
クリ、クサギなどの花で吸蜜する。

ときに腐果や獣糞などの汚物に来ることもある。

餌場での生態は勇ましく
スズメバチなど他の昆虫を羽で蹴散らしながら
樹液を吸う姿を良く見かける。

また飛翔能力が高く
近くに居る時にはその音が聞こえる程

鳥の様に力強くはばたいて
あるいは滑空しながら雄大に飛ぶ。

縄張り飛翔は午後に行われることが多く
西日を浴びて高い樹冠を
活発に飛び回る姿を見かける。

雄は樹木の周囲に縄張りを作る。

幼虫の食樹は
エノキやエゾエノキ。

卵から孵った幼虫は
夏から秋にかけて
エノキの葉を食べて成長する。

冬は地面に降りて
食樹の根際や空洞内に溜まった
落ち葉の中で越冬する。

春に休眠から覚めると
再び食樹に登って葉を食い
更に成長を続け蛹になる。



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「清須会議」!!「秀吉の台頭」!!

2016-07-16 13:47:32 | 地域
「7月16日(土)」

「清洲会議」

「1582年7月16日」
(天正10年6月27日)

清洲会議が開かれ
羽柴秀吉が推す三法師(後の織田秀信)が
織田信長の後継者に決まる。

天正10年6月の本能寺の変において

織田家前当主織田信長は
京都で家臣の明智光秀によって討たれ

信長の嫡男で織田家当主であった
織田信忠も二条新御所で死亡した。

光秀は山崎の戦いで討たれ

織田家後継者及び
遺領の配分を決定することを目的に
尾張国清洲城(愛知県清須市)で開催された。

集まった織田家家臣は

柴田勝家、丹羽長秀、
羽柴秀吉、池田恒興の4人で

滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席した
(直前の神流川の戦いで後北条氏に惨敗し
織田氏の勢力を関東から撤退させたことを理由に参加を拒まれたとの説もある)。

一番の争点であった領地再分配では

次男・信雄は尾張国を

三男・信孝は美濃国を相続し

信長の四男で秀吉の養子である羽柴秀勝は
明智光秀の旧領である丹波国を相続した。

家臣団へは

勝家は越前国を安堵の上で
勝家の希望で
秀吉の領地である長浜城と
北近江3郡の割譲が認められ
長浜城は養子の柴田勝豊に与えられた。

長秀は若狭国を安堵の上で
近江国の2郡を

恒興は摂津国から3郡をそれぞれ加増された。

新当主である三法師は
近江国坂田郡と安土城を相続し

秀吉には山城国が与えられた。

清洲会議では

それまで織田家の重臣筆頭として
最大の発言権を持っていた
勝家の影響力が低下し

代わりに秀吉が重臣筆頭の地位を占めるなど
織田家内部の勢力図が大きく塗り変えられた。

この時の対立が
翌年の賤ヶ岳の戦いにつながり
織田家の内紛と秀吉の天下取りへ影響する。



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「名神高速道路」!!「開通の日」!!

2016-07-16 13:44:44 | 地域
「7月16日(土)」

「名神高速道路」

「1963年(昭和38年)7月16日」

名神高速道路の栗東 - 尼崎が開通。

日本初の都市間高速道路(高速自動車国道)。

新幹線開業の前年にあたる
1963年(昭和38年)7月16日の
名神高速道路 栗東インターチェンジ(IC) - 尼崎インターチェンジ(IC)間(71・7km)の開通は

日本の高速道路開通の歴史の中で
最初となる高速道路の誕生であった。

自動車が道路を
時速100kmで疾走する状況は
当時の世間を沸かせる一大ニュースとなり

前日の7月15日には
名神開通記念として
額面10円の切手が発行された。

1965年(昭和40年)7月1日には

小牧IC - 一宮IC開通によって
名神高速道路の小牧IC - 西宮ICの全線が完成し

これまで名古屋 - 阪神地域間の移動に
自動車で5~6時間を要した時間が
2時間程で結ばれることになった。

開通当初は
高速道路自体が観光名所となっていたため

路肩で弁当を食べ疾走する車を眺めたり
記念撮影したりするなど
今となっては長閑なエピソードも残されている。

また
当時の自動車の性能が
高速連続走行に耐えられなかったことや
ドライバーが高速走行に不慣れだったため

オーバーヒートや燃料切れで
故障する車が続出していた。



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「和田岬「大衆中華「火焔山」!!「レバニラ炒め」!!

2016-07-16 13:41:31 | ご飯
「7月15日(金)」

週末立ち飲みの後の

大衆中華 火焔山

五目チャーハン!

レバニラ炒め!

スーパードライ!

なんか
いつもラーメンしか食べてないと
思われ勝ちやけど

中華メニューは
色々と好きなもんもあるんよ。



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