自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
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変な男の人生色々日記

「東大阪市」!!「発足の日」!!

2017-02-01 15:34:59 | 地域
「2月1日(水)」

「東大阪市」

「1967年(昭和42年)2月1日」

大阪府の
布施市・河内市・枚岡市の3市が対等合併、
東大阪市が発足。

1967年2月1日

布施市、河内市、枚岡市が合併し、
大阪府下31番目の市として
東大阪市が発足する。

市役所は旧 河内市役所を使用したほか、
旧 布施市役所に「西支所」を、
旧 枚岡市役所「東支所」をそれぞれ設置し、

2003年の新庁舎建設に伴う
機能併合まで3庁舎ともに使用していた。

市域は令制国の河内国中部にあたる。

古代にはこの一帯は
河内湾と呼ばれる
大阪湾の奥にある小さな湾であったが、
次第に海から分離して湖となった。

その湖が大和川を経て
上流から運ばれてくる
土砂が堆積したことによって徐々に陸地化したが、

こうした経緯から
湿地・深田が多く、
また洪水に見舞われやすい土地であった。

古代には
物部氏の本拠地があり、
物部守屋の最期の地は
衣摺(きずり、市西南部)であるなど、
早くから開けた地域であった。

飛鳥時代には
中国大陸への玄関口であった
難波津との街道筋にあたり
街道筋には多くの集落ができた。

奈良時代になると、
平城京と難波津を結ぶ街道が整備され、
その街道筋にも多くの集落ができた。

平安時代になり、
熊野詣や高野山へ
上皇や貴族が参詣に訪れるようになると、

その街道として
生駒山麓を辿る高野街道が利用された。

この沿線にあたる市の東部には
多くの集落が点在しており、

今なお旧村として
市内に静かなたたずまいを残している。

平安時代には、
枚岡神社の勢力が大きく、

それを背景とする
水走氏が有力な領主として
市東部を中心に活動した。

室町時代初期、
河内守護に任ぜられた
畠山氏が若江城を築き、
河内を統治する拠点とした。

以後
畠山氏の守護代の遊佐氏が
この城を治めるが、
応仁の乱やその後も続いた家督争いによって衰え、

城主は
細川氏や遊佐河内守長教、三好氏など転々とする。

最終的に城は
織田信長の家臣となった
三好義継の旧臣の若江三人衆が治め、

石山本願寺攻めが始まると
織田方の拠点とされ、
織田信長もこの城で指揮を執るなどしたが、
両者が和睦した後に廃城とされた。

またこの付近は
大坂夏の陣における
若江の戦いの舞台としても知られ
豊臣方の将木村重成の終焉の地
でもあることで知られる。

江戸時代中期以降、
中甚兵衛らの嘆願によって
大和川の付け替え工事が行われると
新田開発が大坂の商人らによって
積極的に推進された。

また商品作物の栽培も盛んで、
木綿の産地として名の知られた存在だった。

東大阪市の中央部は長い間、
北にある深野池や西にある新開池、

そこに注いでいる
付け替え前の大和川の為に
長らく湿地帯で、
東大阪市の市域で早くに開けたのは、

確かにこれら大和川の流域と
高野街道沿いの地域ではあるが、
開発は遅れがちであった。

室町時代以降、
河内国の行政の中心であった若江城でさえ、

四方を沼地に囲まれた
難攻不落の平城として記録されている。



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