自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「大河ドラマ「べらぼう」主要登場人物」!!「平賀源内」!!

2025-01-29 13:55:22 | 面白ネタ
「1月29日(木)」

「大河ドラマ「べらぼう」
「主要登場人物」

「平賀源内」
(安田 顕)

平賀 源内(ひらが げんない)

享保13年(1728年)
~安永8年12月18日(1780年1月24日))は、
江戸時代中頃の人物。

本草学者、地質学者、蘭学者、
医者、殖産事業家、戯作者、
浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。

天才、または異才の人と称される。

鎖国を行っていた当時の日本で、
蘭学者として油絵や鉱山開発など
外国の文化・技術を紹介した。

文学者としても戯作の開祖とされ、
人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。

また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、
多彩な分野で活躍した。

男色家であったため、
生涯にわたって妻帯せず、
歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。

わけても、
二代目瀬川菊之丞(瀬川路考)との仲は有名である。

晩年の殺傷事件も
男色に関するものが起因していたともされる。

『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、
当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。

玄白の回想録である『蘭学事始』は、
源内との対話に一章を割いている。

源内の墓碑銘
( § 処士鳩渓墓碑銘)を記したのも玄白である。

発明家としての業績には、
オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、
火浣布の開発がある。

気球や電気の研究なども
実用化寸前までこぎ着けていたといわれる。

ただし、
結局これらは実用的研究には一切結びついておらず、
後世の評価を二分する一因となっている。

なお、
一説には竹とんぼの発明者ともいわれ、
これを史上初のプロペラとする人もいるが、
実際には竹とんぼはそれ以前から存在する。

エレキテルの修復にあっては、
その原理について
源内自身はよく知らなかったにもかかわらず、
修復に成功したという。

1765年に
温度計「日本創製寒熱昇降器」を製作。

現存しないが
源内の参照したオランダの書物
及びその原典のフランスの書物の記述から
アルコール温度計だったとみられる。

この温度計には、
極寒、寒、冷、平、暖、暑、極暑の文字列のほか
数字列も記されており華氏を採用していた。

土用の丑の日にウナギを食べる風習は、
源内が発祥との説がある。

この通説は
土用の丑の日の由来としても
平賀源内の業績としても最も知られたもののひとつだが、
両者を結び付ける明確な根拠となる
一次資料や著作は存在しない。

また
明和6年(1769年)には
CMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の
作詞作曲を手がけ、
安永4年(1775年)には
音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけて
それぞれ報酬を受けており、
これらをもって日本における
コピーライターのはしりとも評される。

浄瑠璃作者としては福内鬼外の筆名で執筆。

時代物を多く手がけ、
作品の多くは五段形式や多段形式で、
世話物の要素が加わっていると評価される。

狂歌で知られる
大田南畝の狂詩狂文集『寝惚先生文集』に
序文を寄せている。

強精薬の材料にする
淫水調達のため
若侍100人と御殿女中100人が
いっせいに交わる話『長枕褥合戦』
(ながまくら しとねかっせん)のような
奇抜な好色本も書いている。

衆道関連の著作として、
水虎山人名義により
1764年(明和元年)に『菊の園』、
安永4年(1775年)に
陰間茶屋案内書の『男色細見』を著わした。

鈴木春信と共に絵暦交換会を催し、
浮世絵の隆盛に一役買った他、
博覧会の開催を提案、
江戸湯島で日本初の博覧会「東都薬品会」が開催された。

文章の「起承転結」を説明する際によく使われる
「京都三条糸屋の娘 姉は十八妹は十五 
諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す 」
の作者との説がある。

獄中で破傷風の為に亡くなる。

享年52歳。


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「人口調査記念日」!!「日本初の全国戸籍調査が実施された日」!!

2025-01-29 13:53:32 | 面白ネタ
「1月29日(水)」

「人口調査記念日」

「1872年(明治5年)1月29日」

日本初の全国戸籍調査が
実施されたことにちなむ。

1月29日は「人口調査記念日」です。

明治政府によって
日本で初めて全国戸籍調査が
実施されたことに由来しています。

1871年(明治4年)の戸籍法に基づいて
実施されたこの調査は、
翌1872年(明治5年)に編製され、
その年の干支「壬申」から
「壬申戸籍」と呼ばれていました。

当時の人口は、
男1679万6158人、
女1631万4667人、
合計3311万825人だったそうです。

明治の始め頃は、
現在の1/4ぐらいの人口しか無かったんですね。

長寿で高齢者人口が増えている事も
大きく影響していますね。


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