2月4日
火曜日
大河ドラマ「べらぼう」
主要登場人物
九郎助稲荷
(人物化・語り)
(綾瀬はるか)
九郎助稲荷(くろすけいなり)は、
江戸時代に吉原遊廓の廓内にあった稲荷社。
現在は吉原神社
(東京都台東区千束三丁目)に縁結び、
所願成就、五穀豊穣の神様として祀られている。
昔、千葉九郎助という者が、
天から降りたという狐を地内に祀り、
それが「田の畔稲荷」と呼ばれて
あがめられていたという。
慶長年間の末ごろ、
遊郭ができるとともに旧吉原に遷され、
明暦年間に浅草に廓が移転するとともに、
新吉原へと遷された。
『武江年表』万治元年(1658年)の記事には、
今戸村百姓九郎吉という男が
畑の中にあった稲荷社を吉原へ移したとある。
一方で、
木村捨三が『江戸文学新誌』
(林美一編)に載せた一文によると、
伝えられる来歴は全て虚説と書かれている。
その記事によると、
元禄3年(1690年)刊の一枚刷り
吉原細見『絵入 大画図』には、
京町二丁目(新町)から
京町河岸(新町河岸)に曲がる場所に、
九郎介という局女郎5人の小さい娼家があったとされる。
宝永4年(1707年)の
『武江新吉原町図』には、
同じ場所に稲荷社の鳥居と
万屋市郎兵衛という商人の名が記され、
同年に描かれた『ゆきのゑじこう』という
吉原を舞台にした浮世草子の4巻に
「新丁のいなりさまへ五しきのかねを揚て云々」
と書かれており、
これが九郎助稲荷の前身だという。
ただし、
この時点では「九郎介(九郎助)」という
呼び名はまだ無く、
享保元年(1716年。推定)の
『吉原細見花車』に
「九郎介いなり 別当善徳院」と
書かれていたということである。
毎月午の日は、
九郎助稲荷の縁日とされ、
小間物商人や植木屋たちが店を出して
とても賑やかだったと伝わる。
2月の初午は特に賑わい、
願い事をしようとする花魁たちが集まって、
狭い境内が大混雑になった。
火曜日
大河ドラマ「べらぼう」
主要登場人物
九郎助稲荷
(人物化・語り)
(綾瀬はるか)
九郎助稲荷(くろすけいなり)は、
江戸時代に吉原遊廓の廓内にあった稲荷社。
現在は吉原神社
(東京都台東区千束三丁目)に縁結び、
所願成就、五穀豊穣の神様として祀られている。
昔、千葉九郎助という者が、
天から降りたという狐を地内に祀り、
それが「田の畔稲荷」と呼ばれて
あがめられていたという。
慶長年間の末ごろ、
遊郭ができるとともに旧吉原に遷され、
明暦年間に浅草に廓が移転するとともに、
新吉原へと遷された。
『武江年表』万治元年(1658年)の記事には、
今戸村百姓九郎吉という男が
畑の中にあった稲荷社を吉原へ移したとある。
一方で、
木村捨三が『江戸文学新誌』
(林美一編)に載せた一文によると、
伝えられる来歴は全て虚説と書かれている。
その記事によると、
元禄3年(1690年)刊の一枚刷り
吉原細見『絵入 大画図』には、
京町二丁目(新町)から
京町河岸(新町河岸)に曲がる場所に、
九郎介という局女郎5人の小さい娼家があったとされる。
宝永4年(1707年)の
『武江新吉原町図』には、
同じ場所に稲荷社の鳥居と
万屋市郎兵衛という商人の名が記され、
同年に描かれた『ゆきのゑじこう』という
吉原を舞台にした浮世草子の4巻に
「新丁のいなりさまへ五しきのかねを揚て云々」
と書かれており、
これが九郎助稲荷の前身だという。
ただし、
この時点では「九郎介(九郎助)」という
呼び名はまだ無く、
享保元年(1716年。推定)の
『吉原細見花車』に
「九郎介いなり 別当善徳院」と
書かれていたということである。
毎月午の日は、
九郎助稲荷の縁日とされ、
小間物商人や植木屋たちが店を出して
とても賑やかだったと伝わる。
2月の初午は特に賑わい、
願い事をしようとする花魁たちが集まって、
狭い境内が大混雑になった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます