13年前も、やっぱり連日の猛暑だったような気がします。。。
平和式典の開催される前日に、私たちは広島に入りました。
もう、すっかりと翌日の準備が整ったその場所には、やはり全国からの参加者が大勢やってきていました。
父は、徴兵されたもののすぐに終戦になり除隊したと聞きました。
戦争が、まだまだ長引いていたら、もしかして外地に行かされていたかもしれません。
父にしても母にしても、戦争という悲惨な時代を潜り抜けてきた人間は、戦争の傷跡をまざまざと残しているこの地に立つことは、私たち戦争を知らない世代の人間には計り知れない思いがあったことだと感じました。。。
原爆慰霊碑を前に、深々と頭をたれ手を合わせている父を見てて、何か胸に詰まるものがありました。
この後、二ヶ月あまり経ち秋風が吹き始めた頃、父はあっけなく逝ってしまったのです。。。
このときの父には、何か感慨深い思いがあったのでしょうか。。。
私の父は、軍需産業である鋳物工場の責任者ということで徴兵は免れました。
数年前、私は女房と広島へ行き、改めて戦争について考えさせられました。
式典に参加される方も年齢が上がってきていることだし、具合が悪くなりませんように。 広島は高校の修学旅行で行ったきりです。 7時のニュースも広島。
でも、正直、原爆も遠くなりにけり、なんだわ。 あかんね、これじゃ。
父は、どちらかというと寡黙な人でしたから、あまり自身の戦争体験を話してはくれませんでした。
主に、母の口を通して聞いたような気がします。
私の修学旅行は、姫路城までだったので、広島へは転勤で来た年にふたりで行ったのが最初でした。。。
当時は、まだこれほど整備されていなくて、資料館を出てきたあとには、さすがに食事がのどを通りませんでした。。。
父も母も殆ど体験していません。
身近で悲惨な出来事を聞くこともありません。
今のうちに語り継がれることを実際に見聞きしておかなくては・・・と思っています。
私自身は戦後生まれなので戦争の実体験はないですが、
父は実際に戦地に行って体験しているので、戦争の話は
良く聞かされていました。だから、決して他人事とは
思えない部分もあります。私だってこの世に存在して
いたかどうかも分かりません。それぞれの夏、思いは
いろいろでしょうが、平和が尊いものであり、多くの犠牲の上でのものであることを胸に刻まないといけませんね。
物はなかったけれど、ひもじい思いをしたことはなかったです。
母の伯父は、中国大陸に二度徴兵されて行って、九死に一生を得て帰国しました。。。
お酒を飲んでよく口にしたのは、「俺は、一度死んだ人間だから・・・。今は、オマケの人生!」って・・。
それ以上のことは、口に出しては言いませんでしたが、かなり悲惨な思いをしての帰国だったのだと・・・。
私たちが生まれた頃は、物はなくても平和ではありましたよね。
母は、女学校を正規に卒業できたけど、そのひとつ下の後輩たちは繰り上げ卒業だったとか???
ろくに、授業はなかったみたいですね。
何だか、今は「平和ボケ」とでも言えるような時代で、この時代の人たちの犠牲の上に成り立っているということを忘れてしまっているような気がします。