今日は、父が亡くなった日です。。。
まる13年が過ぎたことになります。
母も、呆気なく逝ってしまいましたが、父はもっと呆気なく逝ってしまいました。
まさか、その日に父が亡くなるなんて、誰ひとりとして思ってもいませんでした。。。
当の父自身だって…。
父の病気が発覚したときも、最初の頃は、母を中心に妹たちふたりが時間をやりくりして頑張ってくれていました。
手術の日が決まり、主治医からの説明の日に合わせて帰省したのですが、急に黄疸が出て手術は中止になったのです。
母や私たちは、「父さん、きっと手術するのがイヤだからじゃないの???」なんて言っていたのです。
でも、手術の中止が決まったら、不思議なことにその黄疸はす~っと消えたんです。。。
後で、「結果的には、無傷のまま逝けて良かったのかも???」って話したものでしたが。。。
今でこそ、「エコノミー症候群」とかという言葉で広く知られるようになりましたが、その当時は、まだ・・・。
まして、田舎の病院では、対応が不十分だったのかもしれません。。。
母と交代して、家に戻っていた私が病院に行くと・・・。
「もしかしたら、このまま逝くかもしれないって・・・。」と言う母の言葉に、驚く余裕もなく、妹たちや夫に電話をし続けました。
病室に持ち込んでいた荷物を片付けたり、慌ただしくしていたので、父の臨終のそのときのことはよく覚えていないのです。。。
ただ、父の亡骸を、車に乗せて母とふたり、必死で帰ったことだけはよく覚えていますが・・・。
あれから、もう13年が経つのよねぇ~~!!
19~20日にかけて病院で泊まり込んで、帰って数時間後に亡くなりました。
翌日慌てて駆け付けた病室はもぬけの殻で、当然のように名札も外されていました。 秋の日が真っ白い病室に満ちてました。最期を看取ってないと、いまだに実感がわかない、というような思いはありますよ。
ほぼ同時期に父親を亡くしていて・・・。
13年経ったとは言え、未だに信じられない思いってありますよね。
とにかく、ウチの両親には、ビックリさせられどおしです。
逝くならいくで、予告みたいなのがあればいいのに・・・。
私は、凡人なのでなぁ~んの気配も感じませんでした。。。
父さまのときは遠くから駆けつけたその日というのも不思議ですね。
三姉妹で付き添うことができて本当に幸せな母さまと思われますが 少しづつ落ち着かれていますか?
でもでも いくつになっても親は親 父さまの命日で思い出されましたか。
私も父親の時は新幹線が開通してラッキーでした 兄が付き添いシフトを作ってくれ 同じように出来たのが救われています。
事情で何も出来なかった母は今どうしているかしら? ずっと悔やんでいます。
父は病人なのに母を気遣って、母には泊まらなくていいって言ったのに、私には「泊まってくれ!」って・・・。
今日は、妹ふたりが誘い合ってお墓参りに行ってくれたそうです。
感謝です♪