今日は、一番下の妹の誕生日・・・。
おめでと~~♪
私が、小学校1年生のとき生まれたから、6歳違い・・・。
彼女は、今でも7歳違いって言い張るけれど、6歳違いだってば・・・。(笑)
私とすぐ下の2つ違いの妹は、自宅出産だったけれど、彼女は唯一病院で生まれました。
私は、学校の帰り、必ず母親の病室に寄っていたことを覚えています。
病院は、わが家と小学校の中間ぐらいに位置していたのです。
母の留守の間は、母の実母(私たちの祖母)が、私たちの面倒を見てくれました。
上ふたりが女の子だったので、今度こそ男の子と期待されていた中、生まれた女の子だったので、父や周りの人間の落胆振りは・・・。
考えれば、とっても失礼な話ですよねぇ~!!
母にも妹にも・・・。
父など、なかなか名前もつけなかったようですよ。
お医者さんが回診にくるたび、「まだ、お名前をつけてもらっていないの?」って・・・。
赤ちゃんのときの妹は、とっても可愛かった♪→今は???(コメントは、差し控えさせていただきます。)
で、結局、なかなか名前がつかないので、母が6月にちなんだ名前をつけたそうなのです。
彼女は、生まれつきの左利きでした。
当時、左利きは、母親が悪いみたいなことを、近所の年寄りや親戚の人たちに言われて、母は躍起となって矯正しようとしていました。
でも、結局、字を書くことだけは、何とか右で・・・。
後は、ほとんど左でしたね。
小学校高学年になって、家庭科の時間、運針の練習のとき、右手で行って帰りは左手で・・・なんて器用なことをやってのけていました。(笑)
もちろん、左手の方が、針目が細かくてきれいなのは言うまでもありませんでした。
今でこそ、左利き用のハサミや包丁がありますが、その頃、田舎には売っていなかった???
いろいろな思いをして、母と妹は、今日に到っています♪
今の時代は、左利きは個性として尊重されますが、偏見に満ちた時代もあったということですねぇ~~。
何はともあれ、「おめでと~♪♪♪」
健康に気をつけて、娘のお弁当づくりがんばって・・・ね♪
おめでと~~♪
私が、小学校1年生のとき生まれたから、6歳違い・・・。
彼女は、今でも7歳違いって言い張るけれど、6歳違いだってば・・・。(笑)
私とすぐ下の2つ違いの妹は、自宅出産だったけれど、彼女は唯一病院で生まれました。
私は、学校の帰り、必ず母親の病室に寄っていたことを覚えています。
病院は、わが家と小学校の中間ぐらいに位置していたのです。
母の留守の間は、母の実母(私たちの祖母)が、私たちの面倒を見てくれました。
上ふたりが女の子だったので、今度こそ男の子と期待されていた中、生まれた女の子だったので、父や周りの人間の落胆振りは・・・。
考えれば、とっても失礼な話ですよねぇ~!!
母にも妹にも・・・。
父など、なかなか名前もつけなかったようですよ。
お医者さんが回診にくるたび、「まだ、お名前をつけてもらっていないの?」って・・・。
赤ちゃんのときの妹は、とっても可愛かった♪→今は???(コメントは、差し控えさせていただきます。)
で、結局、なかなか名前がつかないので、母が6月にちなんだ名前をつけたそうなのです。
彼女は、生まれつきの左利きでした。
当時、左利きは、母親が悪いみたいなことを、近所の年寄りや親戚の人たちに言われて、母は躍起となって矯正しようとしていました。
でも、結局、字を書くことだけは、何とか右で・・・。
後は、ほとんど左でしたね。
小学校高学年になって、家庭科の時間、運針の練習のとき、右手で行って帰りは左手で・・・なんて器用なことをやってのけていました。(笑)
もちろん、左手の方が、針目が細かくてきれいなのは言うまでもありませんでした。
今でこそ、左利き用のハサミや包丁がありますが、その頃、田舎には売っていなかった???
いろいろな思いをして、母と妹は、今日に到っています♪
今の時代は、左利きは個性として尊重されますが、偏見に満ちた時代もあったということですねぇ~~。
何はともあれ、「おめでと~♪♪♪」
健康に気をつけて、娘のお弁当づくりがんばって・・・ね♪
母が、ずい分責められていたのを覚えています。
それに、輪をかけて?妹が頑固な左利きで・・・。(笑)
何はともあれ、ありがと~ございます♪
母がよく話をしてくれました。
妹さんは左利きとのこと、昔は無理やり矯正させられました。
世の中のものは、何でも右利き用に出来ていますから。
左利きの人は頭が言いといいますよ。
かなり、高かったような記憶があります。
しばらく「もったいなくて、使えない!」と言っていました。(笑)
妹の頭がいいのか?は、疑問ですが、もしかしたら手先は器用にできているかも???
私の娘も左利き。両手使い!
小一の時 無理やり 鉛筆とお箸は右に直しました。
ある時 体操の時間に 右手を骨折・・先生が心配して謝りっぱなし・・。 ほんとは左利きですから 鉛筆使えますのでと 言った時の先生の顔、今でも忘れられません。
包丁は 左手で切るので 危なくて見ていられません。 千切りが得意です!
矯正するときのエピソードには面白いのが、たくさんありますねぇ~。
「あいうえお」を覚え始めたとき、母のを見ながら、全部ひっくり返した文字で書いたことが・・・。
それから、家庭科のまつり縫いとくけ縫い、これもやっぱり反対に・・・。
学校の先生も、ヨーイドンで一斉に教えられなかったから、大変だったと思います。(笑)
今は、笑い話ですけど、昔は必死でしたね。
でも、子どもの頃の矯正している姿は、可哀相でしたよ。
今では、笑い話にしていますけど・・・。
ワテ、右も左もOKどす
両利きどっせ~♪
おちゃこはんも両利きどっせ~♪
そんな所でも、息がピッタリ???
今日、おちゃこさんは、お仕事でしたよねぇ~。
一緒に行かなくて、大丈夫???
結構多いですよね。
子どもの頃、お箸を持つ方の手とか、お茶碗を持つ方の手みたいな言われ方をしていましたねぇ~。
人と違うのは、何故、ダメだったんでしょうね???
個性とは見てくれなかった!!
yomogiさんも器用な人ですね♪
昔は、いろんな考え方があったんですねえ。
僕は、どっちかというと左利きの方が
羨ましく感じるだよねえ。
きっと時代が移り変わっているんだね。
妹を見ているので、その当時は辛かったと思いますよ。
家でも学校でも、やいのやいの言われ続けたんだから・・・。
ある意味、いい時代になったのかも???
でも、左利きの名残はカケラも残ってません。
バリバリ右利き。残念だったなぁ。
その代わりというわけではないですが、娘がバリバリの左利き。
こっちは左以外全く使えず。両利きにしたかったなぁ。←贅沢(笑)
習字の授業が一番大変みたいですよ。
オメデトー♪c(*゜ー^)ノ*・'゜☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'゜:*:・'゜☆
なにやってんだろ、私(^^ゞ
ウチの妹も、かなり頑固ちゃんの左利きだったみたい・・・。(笑)
あと、牛乳が飲めなくって、給食のとき「牛乳の空ビン」を1本持って行って、交換して来ていましたよ。
こっちも、頑固に飲めなかったみたい・・・。
そう、習字ねぇ~、逆だもんねぇ~~。(笑)
国語は、右手で書くようにルール付けられていますからね。
いずれにしても、個性ですから、矯正することないんですよ♪
ありがとうございました♪♪♪
幼稚園に入るまでは、両方の母から直すように言われ、大変でした。
幼稚園入園の時に先生に相談したら、ストレスになるから、そのままでいいと言われました。時代ですね。
ただ、書道だけは右でないとダメみたいです。
風早さんの所も、お習字が大変って・・・。
両親の時代は、左利きの矯正は当たり前だったんですもんねぇ~~♪
左利きじゃ、お嫁に行けないって、誰がいったんだろ~???
みんな立派におかあさんしているじゃないですか・・・。(笑)
あっ♪そうそう・・・
ありがとうございました♪♪♪