1999年9月21日の夜中に台湾の中部で大きな地震が起きました。
この日、おじちゃんは仕事で台北にいました。
遅い夕飯を終えて、出張で同行していた二人の仲間とホテルに戻り、寝た後すぐに地震が起きました。
初め、パシッと言って停電が発生しました。
これは震源地(台中辺り)な発電所が地震で機能停止したためだと言われています。
停電から数秒(5〜10秒ぐらいかと)後にいきなり大きな揺れがありました。
揺れは30秒ほど続いたでしょうか。
揺れが治ると、各部屋のドアが開き、宿泊客が顔を出し始めました。
仲間と相談して、まずは1階のロビーに行こうと階段を使い降りて行きました。
何度か余震がありましたが、この後は大きな地震はなく安堵したことを覚えています。
日本のテレビでは台湾で大きな地震が発生(最大震度7)したとのニュースが放送されていたようです。
夜が明けて街の被害状況が徐々に分かってきました。
まずは会社に行ってみたところ、棚は倒れコピー機が5メートルほど移動していて揺れの大きさが分かりました。
ホテルに戻ると、1階のカフェにローソクの明かりの中、おにぎりと味噌汁が用意されていました。(泊まっていたのは日系だったので助かりました)
昼間になっても街の停電は続いていました。
それに一般電話も携帯電話も不通でした。
日本からも我々に連絡を試みていたようでしたが、通じなかったとのこと。
日本のテレビでは倒壊した建物ばかりが放送されていたようで、心配していたようです。
実は倒壊した建物は少なく火事もなくほとんど被害はありませんでした。
出張者と連絡取れず + 日本のテレビで被害状況を大げさにした ことで我々は死んだと思われていたようです。
後で聞いた話では、会社として誰を台湾に派遣するかなど話し合っていたようです。
おじちゃんたちは生きていました。
台湾で美味しいものを食べながら大笑いしながら生きていました。
携帯回線が復旧したのは翌々日。
早速日本に連絡。
『なんだ、生きてたんだ。』と言われたことを覚えています。
あのとき死んでいたらメイちゃんとも会えませんでした。
よかったよかった。
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